ちくわとハマグリを眺めては「これがシチリアの香りかぁ!」と喜びの声を挙げている皆さま。
お忙しいところこんにちは。
けいおうタヌキ研究所です。
ところで皆様、
信楽タヌキは存在しますか?
皆様が街で見かけた信楽タヌキは、
本当に信楽タヌキでしたか?
もはや、それがわからない。
新型コロナの影響で遠出ができない昨今。
それ以前の日常から大きく変わったのは、
散歩の機会が増えたこと。
地元の街って案外歩かないもので、
通勤ルートとは真逆の道を、ひたすら1時間歩き続きけるとか、
なんとなく橋を渡ってみたくなるとか、河川敷を散歩してみたくなるとか。
そういったことは、たぶんこんなご時世でなければ考えもしなかったことだと思う。
ただ、何度も散歩をしている中で思うこともあって。
どういうわけか、信楽タヌキが見つからない。
全く見つからないわけではない。
1時間も歩いていれば、1体や2体見かけることはできる。
ただ、それだけじゃ心が満たされない。
信楽タヌキは居酒屋や蕎麦屋の入口に置いてあることが多い。
小さいタヌキは民家の玄関前に置かれていることもある。
だから、目的のない散歩とはいえ、
「この通りはタヌキがいそうだな」
「あの商店街のお店はタヌキが置かれているかもな」
そんな風に、あたりをつけながら街を歩いている。
にも関わらず。
一向にタヌキが見つからない。
「こんなに愛が強いのに、どうしてタヌキは応えてくれないんだ」
初恋にして片思いに苦しむ少年がとる独り相撲のごとく
苛立ちにも近い想いを抱いていたそんな時、ひとつの考えが脳裏を掠めた。
この写真を見てほしい。
信楽タヌキがどこにいるかわかるだろうか。
答えは、いません!
そう、この写真にタヌキは不在。
でも、なんとなく感じたのではないだろうか。
タヌキがいそうな気配を。
そう、今回私が提唱したいのは、
信楽タヌキ非実在論。
信楽タヌキとは空想の産物。
それらしい情景を前に、我々がタヌキをイメージしているのであって、
物体としてそこにタヌキは存在していないのだ。
そう考えると、すべてに合点がいってしまう。
Q.信楽タヌキがいそうな場所を歩いても見つからないのはなんで?
⇒ 信楽タヌキは存在しないからです!
Q.じゃあお店の前に置かれているタヌキは?
⇒ 我々がお店の景観に合ったタヌキを思い浮かべ、補完しているからです!
長年の疑問は、ついに終止符が打たれてしまった。
つまり、私がタヌキを見つけられなかった理由は、
タヌキが存在しないから。
人がタヌキを意識するとき、そこにタヌキは現れない。
タヌキへの意識が外れる、その時タヌキは我々の前に現れる。
それこそが、信楽タヌキの正体だったのである。
そんなわけはなく。
地元の街を駆け回ってもタヌキが見つからない悔しさを
どうにか吐き出したいこの頃でした。
タヌキに出会えなかった散歩の帰り道。
いつもこんな顔をしながら帰路につきます。
信楽タヌキの生息地にあたりをつける手法を編み出した方、
ぜひけいおうタヌキ研究所へ。
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