F95 / フォルトナ・デュッセルドルフ
[創設]1895年5月5日
[クラブ誕生とクラブ名の由来]
フォルトナの前身クラブである体操クラブTurnverein Flingern1895は、身体鍛錬と運動を目的として1895年に誕生しました。サッカークラブとしてはまず、1908年にボールを扱うことを目的としてDüsseldorfer Fußballklub Sportvereinが、さらに1911年には別のサッカークラブFußballklub Alemania 1911(翌年、Fußballklub Fortuna 1911に改名)が創設されました。
更に1913年、この2つのサッカークラブが統合され、Düsseldorfer Fußballklub Fortuna 1911となりました。1919年11月15日、この体操クラブとサッカークラブが統合されることになり、現在のDüsseldorfer Turn- und Sportverein Fortuna 1895が誕生することになりました。
なお、クラブ名の“フォルトナFortuna”とは、幸運の女神Fortuneが名前の由来ではなく、あるパン工場の馬車の名前から取ったと言われています。
[クラブヒストリー]
1963年のブンデスリーガ創設以前は、1933年のドイツ選手権優勝を筆頭に、決勝進出を4回果たすなど、ドイツアマチュアサッカー界でも重要な存在を確立、また1950年代にはドイツ代表として活躍した選手らが所属していました。
ドイツ初のプロサッカーリーグ・ブンデスリーガが創設された1963年は、フォルトナはまだアマチュアリーグに所属するクラブでした。フォルトナがブンデスリーガに初昇格を果たしたのは1966年で、その後何度か昇降格を繰り返しながら、1970年代後半から1980年代初頭に黄金期を迎えます。1977年にフォルトナアマチュアチームがドイツアマチュア選手権に優勝すると、1978年にはドイツカップ準優勝、そして1979年・1980年にはドイツカップ連覇を果たしました。 さらに1979年にはヨーロッパの各国カップ優勝クラブのチャンピオンシップであるUEFAカップウィナーズカップで決勝に進出しました。決勝ではスペインのバルセロナに3-4で惜敗するも、ヨーロッパ中に“フォルトナ・デュッセルドルフ”の名を轟かせる機会となりました。
1980年代後半から1990年代にかけて、再びブンデスリーガ1部と2部を行き来する時期が続き、1998/99シーズンについにアマチュアリーグ(3部相当)へ降格しました。2001/02シーズンにはさらに4部リーグへ降格をするなど(2年で3部へ復帰)、フォルトナにとっては厳しい時期を過ごしましたが、2008/09シーズン、10年振りとなる2部昇格を果たすと、2009/10シーズンには昇格1年目ながら4位と大躍進、平均観客動員数も28.000人を数えました。
そして2011/12シーズンはブンデスリーガ2部を3位で終え、1部16位クラブHertha Berlinとのホーム&アウェーの入れ替え戦に勝利し、15年ぶりの1部復帰を果たしています。
このフォルトナに、今シーズンから期限付きではありますが、エスパルスの大前元紀が期待の戦力として加入しました。ドイツ国民は元ドルトムントの香川のイメージでみているので、プレッシャーがあるとは思いますが、大いに活躍してもらいたいものです。
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