カウンセリング「エデン」のふんわりエッセイ

心理カウンセラーの目で世の中を鋭くとらえながら、ものごとの真実を探ります。

空手道

2008年02月29日 | 空手
空手の審査会が3月下旬に行われます。前回12月の審査会では、移動後の足が決まらないという理由で保留になりました。うちの審査は比較的厳しく、かんたんに上がっていきません。昨年に6段の高段者審査を受験しま方がおりましたが、結果だめでした。

私は、今年度は、忙しいという理由だけで、大会にも出場していませんし、あまり昇段条件も良くありません。

昨年4月から続いていた左足くるぶしのひびの痛みもここのところおさまってきましたし、3月から本格的に走り込みを始めようと思います。

何せ、職場でもPCで週報やら、文書作成の仕事が多く、体を十分動かせません。体脂肪も、12%であったのが18%にまで上がっています。型の切れも取り戻すのに少し時間がかかりそうです。

週末は、毎度のようにけいこです。道場でも、新規の入門者がありそうで、忙しくなりそうです。道着も首の周りがほころんできたので新調しようと思います。





年間授業日数

2008年02月28日 | 教育
本校では、平成20年度は年間204日で計画を立てました。これにより、夏休み明けの授業開始日は、8月28日になります。

平成23年度、新指導要領が実施されます。総合が週あたり1時間減、算数・社会・理科・体育がそれぞれ増加になり、おまけに小学校高学年には英語に親しむ学習が週1時間入ります。したがって、総合の1減は実質英語に割り当てられ、その分時間数を増加しなければなりません。

ゆとりという言葉に社会全体が振り回され、今度はまた、詰め込みにかわる新しい言葉が生まれてきはしないかと心配しています。

授業内容を充実させることへの努力。これが、最も大切であることは、現場の先生方は百も承知です。われわれは、日々の授業を通して子どもに「生きる力」をはぐくんでいかねばなりません。

皆さんの学校では、来年度年間授業日数を何日に設定しましたか?情報をお聞かせいただければ幸いです。


6年理科「自然と共に生きる」

2008年02月26日 | 教育
冬の寒い日の3校時、32名の6年生と一人の教師が体操服姿にタオルを持って空き教室に集まりました。机はありません。

この日のテーマは、「教室の温度を上げるにはどうしたらよいだろうか?」でした。「みんなで運動すれば上がるよ。」という前時の予想の元に、さっそくストレッチを始めました。室温は、16.6度です。真冬ですから、体が硬くなっています。念入りにストレッチを行い、まずは軽くランニングから、始めました。ぐるぐるとしばらく回って温度計を見ると、温度計は16.2度まで下がりました。「あれ、おかしいぞ、下がっているぞ」と誰かが叫びました。反対回りを混ぜながら、10分ほど走りました。すると、温度計は、17.5度まで上がっています。「さて、仕上げです。もも上げ30回を5セットと両足ジャンプ20回を同じく5セットです。みんなの息が荒くなりました。

これで20分ほどの運動が終了しました。室温は、18.7度です。

「はい、窓を開けて」と言うと、子どもたちは汗を拭き吹き「うわー、空気がおいしい」「新鮮」「つめてー」と口々に叫んでいました。

今日の実験での条件は、日光を遮断すること。ほぼ、ねらっていたとおりの結果となりました。

この実験を元に、気づきをノート1ページにまとめて、意見を出し合いました。

「最初に室温が下がったのは、教室の隅にあった冷たい空気がかきまざったからだと思う。わかしたばかりの風呂の水をかき混ぜるのと似ている。」

「二酸化炭素がたまって、温度が上がったのだと思います。よく、寒いときに手にはあーと息を吹きかけると暖かいから、それがたくさん集まったのだと思います。」

「運動するときにはエネルギーが燃やされる。32人分のエネルギーが燃焼されて、温度が上がった。」

「2.1度あげるのに20分かかったけど、太陽の光ならすぐに5度くらいあげてしまう。太陽の力はすごい。」

「教室を地球と考えると、二酸化炭素が増えると地球温暖化が進むと言うことがわかった。」

「二酸化炭素を吸い続けると気分悪くなることがわかりました。布団の中でかくれてゲームをやっていたことを思い出しました。」

自分の体験と結びつけて様々な考えを持つことができました。すばらしい考えを持っている子供たちです。

この次は、二酸化炭素に注目して「今、地球の中でどのようなことが起こっているのだろうか。」という問題につなげました。





日本とドイツの違い(1) ~あいさつ~

2008年02月25日 | ドイツ
動作的に考察すると、日本のあいさつの基本はお辞儀である。頭を下げる動作は、自分を相手よりも下げる謙譲の精神とも言える。なるほど、日本語には、尊敬語やら謙譲語やら、場に応じた多くに表現がある。ドイツの場合は、あいさつの動作は、日本とおよそ反対である。相手に対してあごを少し引き上げるような感じで「Gutentag」と言う。このとき、目線は相手からは決して離れない。

日本のあいさつは、お辞儀の時に相手に対して目線を下げる。ちょうど地面を向くような感じである。

このあいさつについての文化の違いについてのおもしろい話がある。
鳴門市にドイツ館がある。第1次世界大戦が始まると、日本は当時ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃した。敗れたドイツ兵士約5.000人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られたが、その内、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1,000人が1917(大正6年〉から192O年までの約3年間を板東倖虜収容所で過ごした。「バルトの楽園」という映画でも、紹介されているのでご存じの方も多いと思う。あるドイツ兵士が、すれ違う日本人がそのたびに深々と頭を下げ地面を見るので、そこに何かが有るのだと思い、通り過ぎた後に地面に目を近づけて見てみたら何もなかったという話。

東洋の文化が現代ほどヨーロッパに紹介されていない時代には、お辞儀をする習慣が非常に不思議な行為に見えたのであろう。

反対に、相手の目をじっと見ることは、日本では敵意を与えるためどちらかというと好まれないことである。

動作一つにも文化的な背景がある。日本のあいさつは、謙譲の精神に富んでおり、きちんと行えば大変美しい動作であると自信を持って言える。



コーヒーメーカー(エスプレッソ)

2008年02月24日 | 便利グッズ
DeLonghi 全自動コーヒーマシン EAM1000BJA

DeLonghi (デロンギ)

このアイテムの詳細を見る
私、実は大のコーヒー党です。朝起きて一杯、午前中の中休みに一杯、昼休みに一杯、午後会議の前に一杯、・・・・。時間がなくて飲めないときが多いのですが・・・。 家では、デロンギのエスプレッソマシンを愛用しています。デロンギはイタリアのメーカーですね。一昨年にドイツの友人のお宅でサエコ(これもイタリアのメーカーと思います。)のエスプレッソマシンでいれてもらったコーヒーの味が忘れられなくて、日本でずっと良いマシンはないか探していました。で、決めたのがデロンギなのです。
http://www.delonghi.co.jp/product/list/coffee/eam1000bj.html

  昨年の9月に通信販売で購入しました。49800円であったと思います。 これが、とても優れもの。 エスプレッソローストの豆と水をセットするだけ。量と挽き具合はダイヤルつまみで調節します。 後は、ボタン一つで15秒ほどで抽出完了。抽出後のコーヒーかすも本体内の容器にためておいてくれます。 きめの細かい泡だった香ばしいコーヒーをいただくことができます。 値段は高いのですが、買って良かったなあとつくづく思います。

土日も仕事

2008年02月24日 | 教育
成績交換が近いです。

なので、土日も仕事なのですが、個人データは自宅に持って帰ることができません。学校に出勤してせざるを得ません。

道理ではありますが、なぜか納得がいきません。教職員の仕事内容がわかっている人ならば、ご納得いただけるものと思います。

雑務に追われて、子どものノートすら見てやれない自分にいらだちを感じている今日この頃です。

氾濫する造語

2008年02月23日 | ニュース
雑誌やテレビに取り上げられている言葉で

「モンスターペアレント」

というものがあります。

学校・社会に無理難題を持ちかける親のことをさして言うのだそうです。

たとえば、
「うちの子どもが給食がまずいといっているので、給食費は支払いません。」
「隣の席の子どもとは馬が合わないので、クラスを変えてください。」
「学校に私物(携帯電話等禁止されているもの)を持ち込んで、教師がそれを預かると人のものを勝手に取り上げるとは何事だ。」
「体育の授業で、気をつけ、前へならえ」との号令に軍隊みたいだから止めてほしい。」

などなどです。

実際に、私にはこれまでに2つのこれに相応する事例がありました。
①父親の出張で県外から転入してきた子どもの親が、「クラスになじめないのは、おまえの指導が悪いからだ。」と夜に自宅に電話が入り、文句のありったけを言われたことがあります。学校では、明るくのびのびとして友達とも仲良く活動できていた子なのでびっくりしたのです。言いたいことが山ほどあるらしく、とにかく、相手の言うことを受け入れようと話を聞いていると、子どものことならずも、会社の仕事のこと、夫婦関係のことなど話が拡大していました。これは、保護者の仕事上の不安定さが子どもに影響し、その子は家では、いじめられているとか楽しくないとかと話をしていました。

②給食費が数年間未納だった他クラスの子どもの親へ学年主任として事務職と集金にいったときのこと。「また、今度払うから・・・」といって言い逃れをしている親に「そうはいっても金額が多くなっていますので・・・」と事務職がいうと、「だったら言わせてもらうけど、学校がそれだけのことをしてくれているのか?」と開き直って、帰り際にはお皿が飛んできました。後日、落ち着いてから、学校に呼び出して、話を聞くと、やはり、子どもの口から学校への不満が家庭で噴出していました。

子どもの少子化がすすみ、親も子育ての力を一所に集中しています。そうなると、子どもへの期待感は必然と高まります。それと共に特に母親には感情の共有性が生じてきます。子どもに起こったことを我がことのように感じ、客観的にものを見る目が失われている状態でしょうか。

子どもも、親の前ではいい子でいることを感覚的に学習していますので、そこに学校と家庭のずれが生じてきます。

もう一つあげますと、学校は子を育てる場所であるけど、望ましい集団の中で子を育てる場所であること、共生の場であることを保護者には理解していただきたいと思っています。自分だけが幸せになる場でなく、みんなで幸せになっていく方法を具体的に学ぶ場であることを理解していただきたいのです。

我が子がかわいくない親なんていません。そうなる要因が必ず存在するのだと思います。「モンスターペアレント」などという言葉だけで、マスコミ論調で家庭のみを攻撃してほしくないなと思います。






消しゴム

2008年02月22日 | 教育
最近、とても気になっていること。

ノートを書くときにやたらと消しゴムで消し直して書く子供が増えていることだ。

こういう子どもは、正解しかノートに書かなくなるので、算数のノートにも解答しか書かれていない。

大切にしたいのは、そこに至るまでのプロセスを書くこと。

そこで、消しゴムをしまわせてみた。その代わりに用意させたのが、青鉛筆である。間違いに気づいたら、そこに青のアンダーラインを引く。絶対に消さない。

その結果、考えの経過のわかるノート作りができる。保護者に見ていただいても、思考の流れがよくわかってもらえます。

消しゴムで消す分、時間を節約できるし、ゴミも出ません。

子どもたちも自分の考えを大切にするようになります。

おすすめの指導方法です。


給食

2008年02月20日 | 教育
最近、不払いだの、いろいろと話題の多い給食。

どの人も、小学校中学校時代にこの制度を通って、成人しているはず。その過程で給食に対する思いも結構人それぞれであると思います。

私が、最近思っていることは、給食を通して、育てられることは何かです。

この給食指導に関しては、配膳の方法、食べ方の指導、片付けの指導など、担任に任せられている部分がとても多く。方法は一つではない。

基本的には、「残さず食べよう」であるが、時間的な制約や子どもの好き嫌い等の理由で食べ残して食缶に戻すケースも多い。

わたしの給食指導も基本的に残させないようにする。
①まず、給食当番の配膳で、どの子にも同量を分けるようにする。
②配膳終了後、(体調や体の大きさ等を考慮して)量を減らしたい子に食缶のとこ ろに持ってこさせる。
③次に、量を増やしたい子に各自のトレイを持ってこさせる。
④「いただきます」の挨拶をする。
⑤まだ、あまりのある場合には、1班から班順に食缶を持って回り、挙手をさせ、 追加のおかわりをあげる。
⑥時間を決めて、「ごちそうさまででした」の挨拶をする。

ここで、重要なことは、おたまを子どもに持たせないことである。これをフリーにしてしまうと、子どもの好き嫌いを助長してしまうことにもなりかねないからである。給食当番以外の配膳は、教師が管理してあげると、大食い傾向の子ができなくなるし、偏食の子も少なくなります。

ある年に、偏食家がそろったクラスを受け持ちました。子どものわがままとの戦いを決意して、上のような指導を2年間続けました。その子たちは、卒業アルバムに「好き嫌いが直ったのは、先生のおかげです。」「最初は、いやだったけど、今では、何でも食べられるようになりました。ありがとうございました。」と書いてくれました。

どの家庭でも、料理には、ある種の傾向性があり、子どもたちはその中で知らず知らずと食体験が固定化されていきます。学校給食は、メニューが豊富であり、様々なものを口にするとても良い機会を与えてくれます。それを、「ありがたくいただく」ことは、人として大切なことだと思います。



食習慣は、人間形成に大きく関わる問題であります。






煙草

2008年02月19日 | 生活
最近煙草を吸い始めた。といっても、2000年ミレニアムの年に完全に禁煙してから、7年ぶりのことである。

「ストレスがたまっているんでしょ。」と人にはその一言で片付けられる。そうなのかもじれない。百害あって一利なしの煙草であるので、いいことは何もないのかも知れない。無駄だとわかっていても吸っている自分自身のことをよく考えてみた。もちろん、校内は一切禁煙なので職場では吸えないし、自宅でも毛嫌いされるので、換気扇をかけてそのプロペラのそばで吸う自分が情けなく感じることもある。だが、気持ちが落ち着く。一種の中毒であるとも医学書には書いてあった記憶がある。

そこで、一つ考えたこと。

『人生には無駄も必要である』

自己肯定をするわけでもないが・・・。まあ、そのうちに吸う場所がなくなって、完全に止めざるを得なくなることは目に見えています。

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