昨日のディナーショーで「だからあなたも生き抜いて」を感動的な歌唱で歌い終えた後、Kiinaは「ずっと‶きよしくん”でいなきゃいけないと思っていた。4年前ロスに行った時『KiinaはKiinaでいいんじゃない?』と言われて涙がドッとあふれた」とお話ししました。
そして「『感謝しなきゃ』『感謝しなきゃ』って思っていたけど、感謝って湧き上がるものなんですよね」と。
今日のKiiスタにポストされたアイデンティティのコメントを読んだとき、フッとかつて週刊誌に連載されていた近田春夫さんのコラムでのKiina評を思い出しました。
ご存じのように近田さんはKiinaの歌手としての才能と力量を殊のほか高く評価してくださって、連載コラム「考えるヒット」の中でデビュー曲の「箱根八里の半次郎」からアルバム「You are you」に収録された「キニシナイ」まで、節目節目でレビューを寄せてくださっていましたね。
近田さんは2016年リリースの「みれん心」のレビューの中で、このように書いてらっしゃいました。
「このひとだけベテランから新人まで並み居る演歌歌手勢の中で違うのだ。何かが氷川きよしひとりだけ違うような気が、それこそデビューの頃から、ずーっとしていたのだけれど(中略)・・・どうしてそう感じてしまうのか。そこがよく分からない」
別のコラムでは「いつまでも異物。別格」とも。
近田さんは天才でいらっしゃって、凡人には感じ取れないものを敏感にキャッチする力をお持ちです。
Kiinaの才能があまりにも突出していたからというだけではなく、当時はKiina自身もまだ漠然として掴みきれていなかった演歌の世界での自分の立ち位置、居心地の悪さのようなものを何かしら感じ取っていらっしゃったのかもしれないと、「考えるヒット」の切り抜き読み返してみてそう考えました。
このレビューのもっと前、「浪曲一代」の時に近田さんはこうも書いてくださいました。
「おそらくJポップ界に於いても、氷川きよしほど自己陶酔とは無縁で、命をこめて一言一句を伝えようとする歌手は、なかなかいないのではないか。・・・歌は<人>だということなのである」
このレビューから十何年経っても、歌う曲がポップスやロックに広がっても、Kiinaの歌に向きあう姿勢はまったく変わっていません。昨日のディナーショーでの珠玉の歌の数々。まさにその一曲一曲が氷川きよしそのもの、Kiinaという人間そのものでした。