「氷川きよしの昭和歌謡史」Part1では、4曲めの「大江戸出世小唄」(昭和10年)の次に5曲めとして「刃傷松の廊下」が入っていますが、これはどう考えても時系列が合っていません。この曲は戦前のものではなく、戦後もだいぶ経った1961年(昭和36年)に初代真山一郎さんが歌謡浪曲として発表されたものです。
恐らくカバー曲を発売年順に並べる作業の際に「刃傷松の廊下」発売の昭和36年を1936年と勘違いしたのでしょう。
それにしても、コロムビアさんの中にこのミスに気がつく人はいらっしゃらなかったのでしょうか?
今さらアルバムの曲順を変更してもらうことは出来ませんが、このブログは年代順に昭和史をたどっていますので、ここでは「刃傷松の廊下」はすっ飛ばします。
※妻恋道中〜1937年(昭和12年):KIINA.2000年
https://m.youtube.com/watch?v=I3dd6lC5IDM
アルバムジャケットは現在の妖艶な雰囲気を漂わせる美しいKIINA.ですが、歌声はデビューしたばかりの「一生懸命」が足を踏ん張ってステージに立っていたきよしくんです╰(*´︶`*)╯♡
「妻恋道中」は上原敏(びん)さんの大ヒット曲です。同年に同タイトルの映画が制作されていますが、映画の主題歌として歌が作られたのではなく、歌のヒットにあやかって映画が制作されたようです。
上原さんは秋田県大館町(現大館市)のご出身。同じ秋田県ご出身の東海林太郎さんより10歳年下になります。
この曲は元々は東海林さんが歌われる予定だったのが、ちょうど身辺にゴタゴタがあり上原さんに回ってきたのだそうです。
どんな曲も直立不動で正しい発声法で朗々と歌われる東海林さんと対称的に、元々浪曲や義太夫の素養もあった上原さんは軽い小節回しもお得意で、より大衆受けのする股旅ものに人気があったようです。
KIINA.はこの「妻恋道中」の他にも「流転」や「裏町人生」をカバーしていますね。
この年に始まった日中戦争を契機に、芸能人による戦地慰問団が本格的に結成されるようになりました。
この頃は主に民間団体が慰問団を組織して派遣していたようです。
こんな記事がありました。
「ミス・コロムビアらの戦地慰問、45分間のカラー映像が見つかる…戦地の生々しい光景も」
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220808-OYT1T50108/
上原さんも戦地の兵士たちに歌を届けるため何度も中国大陸に渡っていましたが、昭和17年にはご自身が兵士として召集され、19年ニューギニアで戦死されました。亡くなられるまで気軽に慰問に応じ、最前線の兵士たちを励まし続けたそうです。
出身地である大館市には上原さんの顕彰碑が建てられており、後に判明した死亡日を「流転忌」として、関係者が上原さんを偲ぶとともに平和への祈りを捧げているそうです。