アルバム「演歌名曲コレクション18〜しぐれの港〜」の最後を飾るのは、美空ひばりさんの「柔」です。Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=ZfXkhnv2RCU
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/147053/
昭和39年発売、昭和40年の第7回日本レコード大賞受賞曲にして、美空ひばりさんの代表曲のひとつでもあります。
正直に申し上げれば、当時小学校低学年生だった私は「柔」という作品も美空ひばりさんという歌手も好きではありませんでした。
何年か前に職場の同年代の同僚と話をしていて、ひばりさんのお名前が出たとき「でも、私たちは好きではなかったわよね?」と同意を求められました。
同僚とは友人でも子どもの頃の記憶を共有しているわけでもありませんので、厳密には「私たちの世代は」ということになります。
そう。「私たちの世代」の多くは、ひばりさんに対して何かしらの反感めいたものを感じながら大人になっていったのだと思います。
その反感の正体がひばりさんのまとっている空気、側にピッタリと寄り添っているお母様の喜美枝さんや後ろ盾とされている山口組の田岡会長の存在、ご兄弟の度重なるスキャンダル、そして多くのマスコミの偏見から作られたものであることには薄々気がついていました。
そういった空気によって作られたフィルターを通さないで、純粋にひばりさんの歌と向き合うことはなかなか難しかったのだと思います。「歌は上手いかもしれないけど、自分が聴く歌ではないし別の世界の人」。
52歳という、あまりにも短い生涯の中で私を含め社会全般が歌手としてのひばりさんの偉大さを正当に評価するようになったのは、晩年に近くなってから、もっと言えばプロデューサーであったお母様が亡くなってからからだったのではないでしょうか。
ひばりさんの映画や舞台を数多く手がけられた沢島忠監督(Kiinaの初期の舞台も演出してくださいましたね)が「何でひばりなんかの映画を作ってるんだとずっと言われていた。亡くなったら、みんな手のひら返したみたいにひばりさん、ひばりさん」とおっしゃっていたのを何かの雑誌で拝見しました。
私は自身も「手のひら返し」のひとりであるという、忸怩たる思いはあります。
「柔」という曲を耳にするとき、純粋に「良い歌だなぁ」と思う気持ちの中に、この曲がレコード大賞を受賞した当時に私が抱いていた感情が蘇って、複雑な心境になってしまうのです。
ひばりさんが亡くなられた時、Kiinaは12歳。歌手デビューした時には既に伝説のなかの偉大な人という存在でしたから、一切の偏見なしにコロムビアの大先輩であり歌謡界の女王として君臨した偉大な歌手として、ひばりさんを純粋にリスペクトしています。
「柔」の選曲はKiinaからのお願いだった」と会報に書かれています。「僕はこの曲を聴くと背筋がシャンとするといいますか、元気が出ます」
雑誌のインタビューでも「歌一筋で突き進んでいったひばりさんの思いを感じながら歌わせていただきました」とお話ししています。
この曲もそうですが、Kiinaは「人生一路」もとても好きですね。どんな場面で聴いても歌声からひばりさんへの尊敬と憧れが伝わってきます。