※炭坑節〜1948年(昭和23年):KIINA.2017年
https://m.youtube.com/watch?v=u3CAuvAFPe8
現代の生KIINA.に嬉しいスケジュールがみっちり詰まっていましたので、「昭和史」の方はすっかり間が空いてしまいました>σ(^_^;)
さて、戦前から歌われていた「炭坑節」ですが、戦後複数の歌手によって新たにレコードが発売されました。昭和23年にはコロムビアから赤坂小梅さんがレコードを出されています。KIINA.の歌唱はその後に出された三橋美智也さんのものがお手本になっているようです。
日本の石炭産業は明治期から第二次大戦の終戦に至るまでずっと右肩上がりで成長を続けていましたが、敗戦に至る過程で他の産業とともに大打撃を被っていました。
戦後の日本を占領したGHQは国内の経済再建の突破口として、石炭や鉄鋼に資金・資材・労働力を重点的に配分する「傾斜生産方式」を講じました。中でも鉄道輸送や重工業に欠かせない石炭は、最優先で緊急増産対策が実施されました。
まさに「掘って掘って、また掘って」が実践されたのですね。
「炭坑節」はそんな石炭産業の上昇気流を背景に日本中に流れたのでしょう。
ただし、この好景気は長くは続きませんでした。1960年に中東で大油田が発見されて以降、世界的にエネルギーの主役が石炭から石油へ急速に代わっていく中で、合理化や閉山を巡ってやがて深刻な労働争議が全国で勃発することになります。
炭鉱の経営者もその下で働く労働者も、何の屈託もなく「月が〜出た出た〜♬」と歌い踊れた時間は長くはありませんでした。
私の郷里はかつて金属鉱山の町でした。石炭の町で起こったのと同じことが40年後に起こりました。今や日本国内に稼働している金属鉱山はひとつもありません。
今でもフルコーラス歌える小学校の校歌にも中学校の校歌にも「我が町の宝の山」への誇りが歌詞に織りこまれていて、つくづく「変化していくものを校歌にしちゃいけない」と思うのです。
「炭坑節」については「味わい尽くす♬」でもかなり長く書いたので、「簡単に」と思ったのですが、なかなかそうは出来ませんでした。
KIINA.のカバー曲を聴いていると、一曲一曲からその時の有り様が目に浮かんでしまうのです。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/4e7b85dd80893778ead794c7dc0e33a8