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氷川きよしについて ★ by とねりこ

Kiinaの歌声を味わい尽くす♬〜159「東京だョ おっ母さん」

アルバムカバー曲3曲めは、コロムビアの大先輩島倉千代子さんの「東京だョ おっ母さん」。

Kiinaの歌唱はこちら

https://m.youtube.com/watch?v=gx7h9lJEQ6o&pp=ygUe5p2x5Lqs44Gg44On44CA44GK44Gj5q-N44GV44KT

歌詞は歌ネットより。

https://www.uta-net.com/song/66480/

 

1957(昭和32)の発表曲です。前年発表された美空ひばりさんの「波止場だよ お父つあん」を聴いた島倉さんが、同じような曲を歌いたいと船村徹さんにお願いして作っていただいたと聞いています。

 

戦争で働き手を失った一家は、僅かな遺族年金では生活も苦しかったでしょう。主人公も東京に出てきて働いて、12年経ってやっとお母さんに念願の東京見物をさせてあげることが出来たんでしょうね。

島倉さんの絹のような優しく繊細な歌声が年老いたお母さんの手を引く主人公とピッタリと重なります。

島倉さんの代表曲の一曲、さすがに男性歌手でカバーしている方は少ないようです。

サブスクでは大江裕さんのカバーが配信されていました。

 

Kiinaは男性ですが、無理に女性らしく作ることなく、それでも生来の優しい性格が自ずと滲み出る歌声でこの曲を歌っていますね。

特に「おっ母さん」と語りかける部分は、きっとKiinaが福岡のお母さまを思い浮かべて歌ったのでは?と想像されます。

 

二重橋、靖国神社、浅草は、昭和30年代の東京見物の定番コースだったのでしょうね。

Kiinaの「母さん日和」はこの曲をモチーフに松井由利夫先生が作詞してくださったと思うのですが、50年後の現代の東京見物に松井先生は敢えて同じコースを選ばれたようにも思います。

 

3年前に母に東京に来てもらった時に、一緒に靖国神社を参拝したのは、やはり「東京だョ おっ母さん」の曲が私の脳裏のどこかにあって、伯父を戦争で亡くした母が喜ぶかもしれないと思ったからでした。

でも、大きな鳥居を見上げても立派なお社を拝んでも、何か胸に迫るものがありません。伯父はここにはいないような気がしました。

伯父の魂はどこへ還っていったのでしょう。出征する時に出てきた故郷の鉱山長屋は、もう跡形もありません。

コメント一覧

薫風
とねりこさん、こんにちは
「Kiinaの歌声、、、」
毎回的を得た解説と表現力
の厚さに感服し又曲以上に
歌詞の重さ、深さを感じ
ながら、読ませて頂いて
ます。
今回の島倉さんの歌を聴き
ますと、1954年の二重橋
事件に遭遇し、多数の方が
亡くなった事を思いだします
私は当時14歳でした。
遥か半世紀以上前の話で
ほとんどの方はご存じ無い
でしようね😂
とねりこさん、連日の
猛暑留意なさって、お過ごし
下さいね🎶
ペンライト
おはよう👋😃☀️靖国神社はkiinaちゃんの武道館に行った時寄りました。鳥居から拝殿まで長かった思いでした。kiinaちゃんと島倉千代子さんと北野監督の誰でもピカソで共演しましたね🎵一緒に歌ったり、kiinaちゃんは石原裕次郎さんと島倉千代子さんの特集で、kiinaちゃんは石原裕次郎さんの歌いましたね🎵ビデオテープで今は観られませんね🎵誰でもピカソに良く出てましたね🎵
せり
この歌は戦後12年ですか、まだまだ戦争を引きずっていた時代ですね。私の子供のころは道端に傷痍軍人さんがいました、そういう時代でした。松井先生がこの歌をモチーフに大好きな「かあさん日和」を書かれたんですね。kiinaの「かあさん日和」はしみじみとした母子の情愛にいつも泣けます。「ゆりかもめ」の歌詞が今をあらわしてます。
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