今日は仕事休みでしたが、近所のスーパー以外は外出せず(昨日、孫に大盤振舞いし過ぎてお財布が空っぽに・笑)、半日かけてKiina関連の資料を整理していました。
これまで集めた雑誌や新聞の切り抜き、チラシ、フライヤーからどうしても処分出来ないものを選別しファイリングのし直し。
その中に作家の内館牧子さんがご自身の小説を題材に「エイジハラスメント」について講演された資料が出てきて、思わず手を止めて読み返してしまいました。
内館さんが客員教授を務めていらっしゃる秋田県のノースアジア大学で行われた講演会で、「自分の中に"聖域"を持つことの強さ」をKiinaを例に挙げてお話しされたものでした。
これと同じ内容のお話しを内館さんは雑誌の連載コラムでも書いていらっしゃいましたが、講演の内容が大学の学術論集に掲載されたことで半永久的に保存されることになりました。
初めてご覧になる方もいらっしゃると思いますので、こちら↓にPDFをご紹介しますね。ノースアジア大学総合研究センター教養・文化研究所「教養・文化論集」第5巻 第1号(2010年1月)。Kiinaのお名前が出てくるのはP14〜P15です。
http://www.nau-grc.jp/0000_CENTERPAGE/books_img/books_k_bunkaronshu_10_01.pdf
「世の中ではみっともないとか、 恥さらしだとか、 男の人に構われなくなったオバさんが若い子を追っ かけているだけだとか言いますけれども、 自分のお金でチケットを買ってコンサートに行った り、映画を見たり、 韓国に行ったりするのに、 何で他から文句を付けられなきゃいけないのか と思います。 それよりも、 『自分の中にきよし君がいる限り、 もう誰に何と言われようと平気」』という、 その聖域というのを持っている強さというのを、 私はやっぱり学ぶべきではないかと 思う。 これがあるから、 世の中で嫌な目にあっても頑張れるっていうものを1つ持てば、 エイ ジハラスメントなんて、かなりどうでも良くなると思いますね。」
13年前の講演ですから、「推し活」という言葉はまだ生まれていなかったと思いますが、小さい頃から大相撲が大好きで、かつ鳥羽一郎さんの大ファンを公言されている内館さんの言葉は今読み返してもとても説得力があります。
Kiinaの人気が爆発した頃、世間はKiinaに夢中になっている中高年女性に対してどちらかというと嘲笑もしくは冷笑を投げつけていたと思います。内館さんが講演をされた2009年時点でも世の中の空気は同じだったのではないでしょうか。
そうした風潮の中で、「それは自分の中の聖域であって、人からとやかく言われる筋合いのものではない」と内館さんが言い切ってくださったことの意味はとても大きかったと思います。
この10年、自分の好きなこと、好きな人、好きなものに情熱を注ぐことを「推し活」と総称するようになって、そうした行動は一気に市民権を獲得したように感じます。
「自分の価値観は自分で決める」
それは、歌手としてのKiinaの姿勢の変化〜「皆さまの望む氷川きよし」から「自分らしく生きるKiina」へと変化を遂げた10年とも重なるものがあるのかなぁと、懐かしい資料を読みながらぼんやり考えていました。