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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆東京五輪音頭〜Kiinaの歌声を味わい尽くす♬236

アルバムカバー曲3曲めは、三波春夫さん「東京五輪音頭」。Kiinaの歌唱はこちら

https://m.youtube.com/watch?v=VjFYaJS1cXs

歌詞は歌ネットより。

https://www.uta-net.com/song/113863/

 

ドロドロの情念の歌の次は、日本の歌謡曲史上最も晴れがましい祝祭の歌です(*^_^*)

 

「東京五輪音頭」は実は何人もの歌手の方の競作だったそうですが、三波さんのこの曲にかける意気込みは他の追随を許さないものがあったようですね。

三波さんご自身、第二次世界大戦で兵士として戦場に赴き、敗戦後はシベリアで捕虜生活を送った経験をお持ちでした。「『日本はそこから努力してここまで復興を遂げたんですよ、』と世界中に伝えるためにも、何としてもオリンピックを成功させたいという思いが強かった」とお話しされ、生涯この曲をご自身の宝物とされたそうです。

後から考えてみても、やはり三波さんの笑顔と明るい歌声、折目正しい歌唱がこの祝祭には一番相応しかったのではないでしょうか。

 

Kiinaは「ミュージックスター」のアルバムインタビューの中で「三波春夫さんを大尊敬している。三波さんのような歌手になりたい」とお話ししています。

歌い出しの「ハアー♬」のKiinaの発声の、何と明るく晴れやかなことでしょう。

 

日本中の悲願だった1964年の東京オリンピック。当時を鮮明に記憶されている方も、まだ生まれていなかったという方もいらっしゃるでしょう。

私は小学2年生でした。

Kiinaの「東京五輪音頭」は、三波さんの歌声と同じように、あの時テレビに釘づけになって見ていたひとつひとつの場面を甦らせてくれます。

テレビは白黒だったのにカラーで記憶しているのは、後に市川崑さんの映画を観たのとアサヒグラフを何度もめくって名シーンを目に焼きつけたせいだと思います。

コメント一覧

藪つばき
こんばんはー。この、1964年のオリンピックは思い出深く、最近の3年前のオリンピックと比べれば、私の中ではこの時のオリンピックの方が印象深い気がします。まだテレビも家になく、親戚の家で見た思い出、ある時はそこの家の人は何故か留守で、父と二人きりで見たという場面もありました。遥~か昔のことなのにまだぼんやりと思い出すことが出来ます。
三波春夫さんのこの「東京音頭」は、明るく、晴れがましく、祝祭の歌にぴったりでしたね!。kiinaさんの歌声も負けず劣らず立派で、三波さんの元々の歌の雰囲気を崩さないように、丁寧に、というようなkiinaさんの気づかいも、端々に感じられる歌声ですね。
チャチャチャ
おはようございます。三波春夫さんの東京五輪音頭1964年の東京オリンピックの曲ですが何年たっても国民のオリンピックソングですよね。kiinaの歌声も三波さんに負けないくらい華やかさもあって素晴らしい歌声です。kiinaがこの曲を歌う時は身体に染み込んだ曲なので身体が勝手に調子をとって、kiinaの顔ばかり見とれています。
せり
おはようございます。1964年の東京オリンピック、国中にこの歌が響き渡り国中がオリンピック一色でしたね。テレビにかじりついて応援したものです。三波さんの歌唱に負けず劣らずkiinaの歌声も天下一品の明るい晴れ晴れとした歌声ですね。kiinaは三波さんを大尊敬されていたんですね。三波さんの長編歌謡浪曲を挑戦されながらも断念されたのは素晴らしすぎてとてもという思いもあったんでしょうか。kiinaの長編歌謡浪曲、一回聴いてみたかったな。
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