2016年12月1日19時33分投稿記事です
このころは欽天四化派紫微斗数を学んだあと
いろいろ試行&思考していたころですね。
生年四化や特に生年化権化忌があるべき宮に入ることが
(さらに六内にはABCDがあるようなのとか)
その命盤の良し悪しの基準になるんですが・・・・
最近はそうでもないように感じています。
紫微斗数とかかわるようになってから、
活用方法というのか超解釈というのか、
暇さえあれば、
ネットで調べたり、本を読んでみたり・・・・
それで、ばったり出会ったのが
四端説 。
初歩の初歩・・・・の
孟子 入門を読んでみました。
四端説については、1ページくらいしか書かれてなくて、
なんかもっと、追及して調べたくなって
目の前の
四端説 の4つ標語のように貼っていました。
最初に興味ひっかかったのは、半年以上前の出来事です。
それで、また本屋で孟子の入門っぽい本があったので、
パラパラっとみて、
すこしだけ、解説が長くなってたものがあったので
また買ってみました。
「ビギナーズクラッシック 孟子 佐野大介著」
角川ソフィア文庫
四端説の 4つは
A 惻隠そくいんの心 仁
B 羞悪しゅうおの心 義
C 辞譲じじょうの心 礼
D 是非ぜひの心 智
と・・・・
この、ABCDは 私が勝手にくっつけてます笑
紫微斗数の四化みたいに~
でもなんとなく、ハマるような気がしました。
D 化忌 是非ぜひの心って
まさに!!って思いました。
陰陽五行では、「智」は水です。
化忌の五行は 水ってことで
水繋がり。
知識は見て聞いて知っただけでは自分のものではなく、
自分が体験して実際と照らして体得したことが知識で、
そこには、是非が必要です。
白黒をつけるのではなく、
自分がかかわることのなかで、必要か不必要なのか?です。
羞悪の心は、不正や悪い事をやっつける義のことです。
やっぱり、B:権 が当てはまっているかな・・・・笑
この四端説でいわれる、4つのだいたいの意味は、
4つの心の萌し(きざし)という意味で、
「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心)
「羞悪」(不正や悪を憎む心)または「廉恥」(恥を知る心)
「辞譲」(譲ってへりくだる心)
「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力)
の4つの道徳感情である。この四端を努力して拡充することによって、それぞれが仁・義・礼・智という人間の4つの徳に到達するというのである。
言い換えれば、
「惻隠」は仁の端
「羞悪」(「廉恥」)は義の端
「辞譲」は礼の端
「是非」は智の端
※↑ウキペディアから引用してます~
生年四化があるべき宮・・・に入っていない人は、
責任を全うしようという意識があまりなくて、
良く言うと、周りの人が何とかしてくれ・恵まれた環境で、
本人はそんなにも、頑張る必要が無かったりします。
孟子入門の解説の文には、
この四つを持っていなければ人じゃないし、
せいぜい誰かに使われる人で終わり。
古人はなかなか・・・厳しい言い方ですね・笑
生まれた時点では、
まだ仁・義・礼・智も
萌芽・ほうが 種や苗の状態なので、
「萌し:きざし」で
これを伸ばしていくのは自分次第。
この四端説の「4つの心」を
生きているうちに少しでも
生まれた時よりも少しでも
成長させたいものです。
しかし、伸ばし育てていくやり方が、
自分の強い意志で、孤独に打ち克ちながらなのか・・・
自立格
誰かに尋ねたり・教えてもらったり・導かれてとか
それは、みんな違うのです。
他立格
紫微斗数の基本概念には「佛学ふつがく」があります。
仏教の因果応報の考えもですが、
西洋圏でもカルマや因果応報の根源は同じで
創造主や源が同じなので、
いろんな神様がいても源は同じ、
追求していくと、結局は同じなのです。
宗教は、集合意識やカルマをうまく使って
人を管理しやすくしただけです。
生まれた場所や地域や
日本人的集合意識の中での因果応報と
違う国での集合意識の中の因果応報は少し
違うけれど、
カルマの源は同じですから、
ルートは違っても、
日本人でも外国人でも文化圏が違っても、
根本的な人のアーキタイプ:人の元型は同じということを
紫微斗数の命盤、生年四化の宮、自化がある宮、
來因宮から見たその人のパターン・元型を
知ることが出来ます。
参考図書をもとに・・・・独り言としてかいてますので、
転用すると危険です!!笑
お気を付けください。