ハマカフェの久巫女です
思考散歩・ひとり言のような、
どんな話になるわからないまま、感覚的に書いています。
アラフィフ世代の皆さんならご存知の、
元オリンピック・マラソン選手の有森裕子さんの
「自分を褒めてあげたい」
1996年アトランタ五輪女子マラソン銅メダル
ゴール後のインタビューで「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初めて自分で自分をほめたいと思います」と涙ながらに語った姿は感動を呼んだ。「自分で自分をほめたい」という言葉はフォーク歌手高石ともやが書いた詩の一節を引用したもので、この詩を初めて聞いたとき涙を流して感動し、いつかこの言葉を言いたいと暖めていたもので、その年の流行語大賞に選ばれた。なお、「自分で自分をほめてあげたい」は誤記である。
上記・ウキペディアから引用してます。
この年代頃から、やたらと自分を褒めるとか
自分ご褒美、自分用のお土産、
バレンタイン用チョコレートも自分用を購入、
ご褒美にスイーツ食べる
一人で高級ホテルに泊まる
ご褒美にブランドのバックや時計を買う・・・
頑張ってる自分を褒めるのはイイんだけど、
犠牲者や我慢しすぎてる状況も同時にあって、
自動的に、
自分に飴と鞭のような状況を容認し続け、
飴を与えたら、また頑張らなきゃ
を続けてきた。
「自分褒め」
大げさに表現すると、
将来のためのお金:退職金やボーナス=アメ
現在は社畜の様に働く:過剰な節約=鞭
普通の人は、みんなそうやって頑張ってるじゃん
おかしくないでしょ?普通でしょ
いえいえ
確実に、麻痺してるよね。
今を生きてないですよね。
いったい何のため?
誰のため?
自分のために決まってるじゃん。
と思わせられて従って追いかけさせられ
作られた流行=常識
ズレたこと言ったり思ってると変人になるから
困りたく無いから自分にウソついて
常識にそっている。
そのうち思考も感情も一定のところに
落ち着いて
搾取システム、時間泥棒、
健康も精神性もすべて差し出して、
何が自分の為なのかわからない状況で
みずからが、奴隷意識で
生命エネルギーや健康や貴重な生きてる時間を差し出して、
ときどき少々の飴を与えて、
美味しい食べ物・スイーツ、娯楽・スポーツ、
賭け事、豪華な旅、豪遊、酒・たばこ、嗜好品 薬 ⇒ ぜんぶ、体に悪い・笑
これらみんな刺激の強い中毒性のあるものです。
ご褒美と犠牲が支え合って関係をたもっているような・・・
何とも苦しい・コントのようだ・笑
子供との会話で、
コンビニスイーツ買うことに、
一人分買うのは罪悪感で、家族分買ってしまうって話から、
自分だけ良い思いしちゃいけない
根深いものがあるな・・・・って気が付いて、
「自分ご褒美」の始まりっていつだったかな?からの気づき。
我慢が消えたら、
ご褒美もいらないよね~ってお話でした。
過剰な刺激もいらないよね~
ご褒美が欲しいのは我慢が隠れていると思います♪
自己犠牲は解放〜