もののふのおもひ

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最高の大河ドラマは? 後編その三

2020-03-15 02:42:08 | エッセイ


前回まで三回にわたって自分の好きなNHK大河ドラマの最高傑作は?ということで、1978年(昭和53年)放映の「黄金の日日」を取り上げた。
しかし、そこで振り返ってみると重要な概要について述べていないことに気づいた。
つまり、ドラマの中では脇役に過ぎないのに、歴史上の人物としては知名度が高いキャラクターばかりに説明が集中してしまったのである。
ここで改めて、このドラマの概要について語ってみたい。
時代は今から400年以上前の安土桃山時代。舞台は泉州・堺(大阪府堺市)。
主人公は納屋助左衛門。のちに貿易商となり、ルソンに渡海して貿易で巨万の富を得たことから呂宋(るそん)助左衛門と呼ばれた。
この助左衛門と泉州・堺の町の栄枯盛衰、それをとりまく織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国武将や、当時の名の知れた人物たちとの絡みを壮大なスケールで描いたドラマである。
原作は経済小説の開拓者でもあった城山三郎。脚本は「ウルトラセブン」でお馴染みの市川森一である。
そして、主人公・助左衛門を演じるのは、当時は六代目・市川染五郎(現・二代目松本白鴎)であった。女優の松たか子の父親といった方が馴染みが深いであろう。
これまで戦国時代を舞台に取り上げた大河ドラマは何本か製作された。いずれも、豊臣秀吉(太閤記)、上杉謙信(天と地と)、斎藤道三(国盗り物語)といった戦国大名が主人公である。
ところが、この「黄金の日日」はそのような英雄タイプの人物ではなく、一介の商人が主人公である。おまけにこの助左衛門という人物は生年月日はもとより、没年すら定かではない。
おまけに資料があまりにも少ない。つまり謎に包まれた人物というわけだ。
原作の方も大河ドラマを見終わって、かなり時がたってから読んだが薄い文庫本で、1日で読み終えた。とても一年かけて放映するような内容とは思えなかった。
しかし、この点は脚本家・市川森一の腕の見せ所だったのであろう。資料が少なく、謎に包まれた人物となれば作家としては、いかようにも料理が出来る。
その結果、原作には登場しなかったキャラクターやエピソードが盛り込まれ、見事な脚本が出来上がったと思われる。
大河ドラマは一年をかけて放映されるわけであるから、登場人物も多くなる。
歴史ドラマとはいえ、小説が原作だ。架空の人物も登場する。
魅力ある女性の登場人物も多い。こちらは後に述べていくとして、先ずは助左衛門に関わる二人の個性的な登場人物から紹介していきたい。
一人は杉谷善住坊(川谷拓三)、もう一人は石川五右衛門(根津甚八)である。
後者の五右衛門の方は、今でも名前を聞けば、大泥棒としてピンとくる方も多いであろう。
だが、善住坊の方は、ある程度は歴史に詳しい人間でないと名前を聞いたことがない人が大半ではないかと思われる。
結論からいって、二人とも実在とされる人物。
善住坊は狙撃犯、五右衛門は盗賊。完全なアウトローである。
この二人も助左衛門と同様に、その生涯がはっきりとは知られていないが
助左衛門と違うのは、その死に様が凄まじく、また、はっきりと知られていることだ。
それでは、この二人から語っていきたいと思う。

続く

最高の大河ドラマは? 後編その二

2019-03-30 02:15:56 | エッセイ


前回から述べたように、高橋幸治が「黄金の日日」で信長を演じたのは二度目だった。彼が最初に信長を演じたのは、1965年(昭和40)放映の大河ドラマ「太閤記」だが、これは高橋にとっても初の大河ドラマ出演でもあった。同時に彼の名前が一段と有名になっていくのは、このドラマからだった。
高橋が演じた信長への反響は凄まじく、NHKには「信長を殺さないで」の投書が殺到したというから並ではない。おかげで信長にとってはクライマックスとなる「本能寺の変」の撮影が遅くなってしまった、というエピソードがあるくらいだ。
このドラマ放映から3年後に生まれた私は
当然、「太閤記」を視る機会に恵まれなかったので、当時の高橋が演じた信長がどのようなものであったか理解する事は出来なかった。
それがこの「黄金の日日」を視たことによって、初めて高橋の演じた信長に接することになるわけだが、子供心にもその衝撃は大きかった。いや、怖かったというのが正解である。
特に衝撃的だったのは、とあるシーンだ。ドラマが始まって、まだ最初の頃の回のことだ。
信長が安土城普請の現場に訪れ、宣教師ルイスフロイスと対面するシーンである。
信長がフロイスに色々と質問し、それにフロイスが丁寧に答えていくシーンはなかなか見ごたえがあるのだが、衝撃の場面はその後だ。
信長とフロイスが語り合っている間に後方の群集の中で、ちょっとした騒ぎが起こる。あるキリシタンの若い女性(夏目雅子)に
ちょっかいをかけようとする足軽の男がいた。それを止めようとしたのが、同行していた少し年上の美しい女性で、このドラマのヒロインとなる美緒(栗原小巻)だった。下品な足軽は、こともあろうに美緒に抱きつこうとする。その光景を少し離れていたところで見ていた助作衛門(現・松本幸四郎)が美緒たちを助けようと駆け寄ろうとする。が!それよりも早く動いたのは信長だった。
「下郎!離してやれ !」
信長の怒号が響き渡る。
「なんや?‼」
下品な足軽が振り返った瞬間、信長は手にした太刀を鞘から引き抜く。
次の瞬間、足軽の首が宙に飛んでいた。
(当時はこのシーンが恐ろしく見えたが、だいぶ後になってDVDを見返してみると
なんだか笑ってしまう)
信長が足軽か入夫かどちらか忘れたが、実際に自らの手で相手を手打ちにしたという記録は残っているようだ。
これとほぼ同じ場面は、「黄金の日日」から14年後に放映された大河ドラマ「信長」でも再現された。この時、信長を演じたのは緒方直人だったが、失礼ながらその迫力は高橋信長には及ばない。
とにかく、この信長の手打ちシーンは強烈だった。翌日、当時小学生だった私のクラスでもこの場面は話題になった。
それ以降、毎週このドラマを楽しみにすると同時に緊張感が伴った。
「黄金の日日」のオープニングの曲は素晴らしく、今でも大河ドラマ史上最高だと
個人的には思っているが、オープニングに
「織田信長 高橋幸治」と縦書きに文字が出ると、それだけで緊張が走った。
信長が秀吉(緒形拳)と明智光秀(内藤武敏)に比叡山焼き討ちを命じるシーンですら背筋が凍った。
信長が浅井朝倉攻めの最中に、秀吉が投降した敵方の武将二人を信長の前に連れて来ると、信長は一言。
「首をはねよ!」
この時は恐怖のあまりチャンネルを変えた。
そんな信長にも最期の時は来る。
残念ながら信長が最期を迎える本能寺シーンは回想みたいな描かれ方で、信長も大して戦わず、あっさり腹を切って終わってしまった。何だか拍子抜けした感じだs。
高橋信長が死んでも当然ドラマは続くのだが、どういうわけかあれほど怖かった彼の存在がやがては懐かしくなり、このドラマ以降は高橋幸治が出演する作品は、映画やドラマに関しては積極的に視るようになった。
高橋が大河ドラマに出演したのは、これが最後となる。それ以前には「太閤記」はもとより、昭和44年(1969)の「天と地と」では武田信玄を、昭和47年(1972)の「新・平家物語」では源頼朝を演じている。いずれも貫禄十分な演技力だった。
以上の作品は総集編や一部の作品がDVD化されているので、今でも視聴可能である。
高橋自身は現在では俳優業を引退しているようだ。もし健在なら80歳は過ぎている。元気であれば、もう一度その姿を見てみたい。






最高の大河ドラマは? 後編その一

2019-03-26 02:46:51 | エッセイ


これまでのNHK大河ドラマの中で、私にとって最高の作品は昭和53年(1978)放映の「黄金の日日」であることは、今日に至るまで変わらない。
そのDVDを全巻揃えたのは前回述べた通りだが、改めて鑑賞してみても面白い。ただ
最近の大河ドラマに比べると、セットや合戦シーンなどは多少なりとも見劣りがする
ように思われる。
確かに戦国乱世の時代が舞台とはいえ、戦国武将が主人公ではなく、一介の商人が主人公なのだから合戦シーンは必要ないと
思われるかも知れないが、視聴者としては面白くない。
戦国の世を舞台とする以上は、合戦シーンはつきものである。しかも、主人公である納屋助佐衛門(市川染五郎。現・松本幸四郎)との関わりで、信長、秀吉、家康の三英傑は登場するのだ。
「黄金の日日」については書きたいことが山ほどあるが、今回は以上の三人の武将について述べてみたい。
まず、織田信長である。
演じているのは高橋幸治。とにかく強烈な信長だった。おそらく私がブラウン管で目にした最初の信長は、これが初めてであろう。
実は、高橋が信長を演じたのはこの作品が初めてではない。昭和40年(1965)に放映の大河ドラマ「太閤記」で、すでに信長を演じている。
私の父も、「太閤記」は観ていたようで
よく高橋の演じた信長について聞かされた記憶がある。
もっとも、私がその事を知ったのは少し後だったが。
信長は、ドラマの一回目から登場する。
ドラマは大阪の堺が舞台。信長の大軍が堺を包囲するところから始まるからだ。ただし、この時はまだセリフがない。
信長がセリフを話すのは二回目からだ。
堺を救う為に、豪商、今井宗久(丹波哲郎)が助作衛門と石川五右衛門(根津甚八)を引き連れて、信長の元へ乗り込むシーンからである。
助作衛門という存在に目をつけた信長が、彼を武士として家来に召し抱えようとする。助作衛門は、それを断るだけでなく、なんと信長に堺から兵を撤退するように直談判をする。
激怒した信長は、太刀の峰で助作衛門を叩く。このシーンが、当時まだ小学生高学年の自分には恐怖を感じさせた。
信長、怖い!
高橋の演じた信長は、今でも昭和を生きてきたマニアの間では評価が高い。
信長だけでなく、秀吉を演じた緒形拳、家康を演じた児玉清も侮れなかった。

続く

最高の大河ドラマは? 前編

2019-03-17 14:15:21 | エッセイ


今年の大河ドラマ「いだてん」の視聴率が芳しくないらしい。大河ドラマといえば
戦国時代や幕末の動乱期が舞台になる事が多いので、そのような刺激的な背景が描かれているドラマを見慣れている視聴者からすれば、現代劇に近い「いだてん」は物足りなく映ってしまうのかも知れない。
昭和38年(1963)に始まった大河ドラマも今年で58回を迎える。私自身が初めて大河ドラマを観たのは昭和49年(1974)放映の「勝海舟」だった。しかし、ほとんど記憶にない。
このドラマで印象に残っているのは藤岡弘が演じた坂本龍馬暗殺のシーンである。
当時小学一年生だった私が、幕末の時代背景を理解出来るはずもない。よって、坂本龍馬がどのような人物だったか分かるはずもないのである。
それでも坂本龍馬がヒーロー的な人物であることは、何故か理解できた。何故なら龍馬を演じていたのが藤岡弘だったからである。
私たちの年代からすれば、藤岡弘といえば仮面ライダー1号に変身する青年であると認識されていた。そんな彼が悪役やカッコ悪い人間を演じるはずがない、という思い込みがあった。
こんな根拠もないことだけで、坂本龍馬は私の中でヒーローになってしまった。
結果的にそれで良かったのかも知れないが。
ところで、肝心の勝海舟は誰が演じていたのか?
私の記憶では松方弘樹だが、元々は渡哲也だったそうで、渡自身が病気で途中降板せざるを得なくなり、松方が代役になったという事情があった。
いずれにせよ、私にとっての大河ドラマは「勝海舟」で幕を開けた。
このドラマの翌年である昭和50年(1975)放映の「元禄太平記」で初めて忠臣蔵について知ることができた。昭和51年(1976)放映の「風と雲と虹と」では平安時代や平将門の存在を知った。
昭和52年(1977)放映の「花神」で再び幕末について知ることになる。この時は主人公の大村益次郎よりも、脇役の吉田松陰に惹かれた。出番は少ないが、坂本龍馬も登場する。この時は故・夏八木勲が演じていた。
子供の頃から歴史に興味を持っていた自分としては、毎週日曜日の夜8時に放映される大河ドラマが楽しみで仕方ないくらいだった。
それでも私としては不満だった。以上の4作品とも平安、江戸中期、幕末が舞台である。戦国時代に特に強い興味を持っていた自分からすれば、
「なぜ、戦国時代をやってくれないんだ!」
という気持ちだった。
(戦国時代を舞台にした大河ドラマ国盗り物語が放映されていたのは、勝海舟の前年だった。)
ところが、その望みは実現した。「花神」放映の翌年である昭和53年(1978)に放映が始まった「黄金の日日」である。
戦国の世に、大坂・堺を舞台にした壮大なスケールのドラマだった。ただし、主人公は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康のような武将ではない。
呂宋助佐衛門こと納屋助佐衛門という豪商が主人公のドラマである。信長、秀あ吉、家康も登場するが、脇役でしかない。
商人が主人公と聞いて当初はあまり期待しなかったが、一年間ほぼ毎週観ていた自分の感想を言わせていただくと、現在に至るまで私の中でこの作品を越える作品はなかったと断言したい。
助佐衛門を演じた市川染五郎(現・松本幸四郎)も素晴らしかったが、信長を演じた高橋幸治も私の中では最高の信長だった。
最近、「黄金の日日」のDVDをついに全巻揃えた。改めて観ると色々と発見があるものだ。




君は少年倶楽部を知ってるか?

2019-03-01 01:46:14 | エッセイ



ブログを初めてから、初めての本格的なエッセイになる。

いきなりこのタイトルを見て、某テレビ局のBS番組を連想された方もおられるだろう。
もっとも、そちらの方はタイトルの頭に(ザ)の一文字がつくのだが。

ところで、少年倶楽部とは何か?
これは過去に存在した月刊少年雑誌のタイトルである。
この名前を聞いて、懐かしいと感じる方は
ほぼ戦前生まれの方だと思われて間違いないであろう。
筆者は戦後に生を受けたバブル世代の一人だが、今も健在している筆者の父は昭和ヒトケタ生まれ。やはり少年倶楽部を愛読していた一人だ。
さて、この少年倶楽部だが、創刊は1914年(大正3)であり、1962年(昭和37)年まで発行されていた。
実に48年の長きにわたって刊行されていたのである。
発行元は大日本雄弁会。
現在の講談社の前身にあたる。
ちなみに筆者が生まれたのは、この雑誌が廃刊になってから数年後のこと。
当然ながらタイムリーでこの雑誌を読んだことなどない。
そんな筆者が何故このような雑誌に興味を持ったのか?
簡単に言ってしまえば懐古趣味、昔懐かしの匂いのするものが大好きなのである。
それでは何故それが少年倶楽部という雑誌なのか。
それにはきっかけがあった。
今から丁度40年前、筆者がまだ小学生の高学年だった時のことである。
今でも子供たちの間で人気のある漫画ドラえもんのアニメが放映され始めた時期だ(厳密には2度目のアニメ化)。
ドラえもんの作者である藤子不二雄氏は
藤本弘(故人)と安孫子素雄のコンビから
成り立っていることは周知の事だが、安孫子氏(以下、藤子A氏と略す)がメインの作品に(少年時代)という漫画が当時の少年マガジンに連載されていた。
これは、太平洋戦争中に東京から富山県に疎開した少年の体験を描いた作品だが、個人的に素晴らしいと思える作品だった。
この作品の中に少年倶楽部が登場するのだ。
少年時代という漫画は、連載当初は評価も高くなかったようだが、連載終了と同時に
ファンレターが殺到したというエピソードを持つ。
この作品のおかげで少年倶楽部という雑誌に興味を持った戦後生まれの人間は、私だけではないであろう。
存在を知った以上読みたくなるのは当然の感情だが、その辺の図書館には置いてないであろうことぐらいは想像出来たし、筆者のような幼い頃から不器用な少年には古本屋巡りする力量もない。
国会図書館なんて頭に浮かばなかった。
どういう雑誌であったかについては、まず父親に聞くことから始まった。
それによると、少年小説がメインで
他にも絵物語が掲載されていて、漫画など
ほんの僅か。
田河水泡の(のらくろ)、島田啓三の(冒険ダン吉)などである。
(のらくろ)は我々の年代までは知っていた。小学校の図書館に何冊かあったからだ。ただ、それが戦前の作品だったと気づいた子供は少なかったようだ。
少年小説なら(宮本武蔵)でお馴染みの
吉川英治、(鞍馬天狗)の大佛次郎が有名だ。また、女流作家で有名な佐藤愛子の父親である佐藤紅緑の小説も好まれたらしい。
当時の私が父親から得た知識はそれくらいだった。
また、この雑誌は当時の少年たちにとっては高額な方で、毎月購入する家庭など裕福な家に限られていたようだ。
当時は大半が貧しい家庭だったから、そうした子供たちは裕福な家庭の子供から(お下がり)で借りて読んでいたというから涙ぐましい。
筆者の父親もそうした家庭だったことは想像出来るが、あえて口にして確認するなどということは恐ろしくて出来なかった。
前述した通り、私の懐古趣味は子供の頃からだった。よって少年倶楽部への想い?は募るばかり。
それでも気がついたら時がたつにつれ、少年倶楽部そのものへの関心は薄れていった。
当然といえば当然だ。
ところで、私が少年倶楽部に関心を持つきっかけになった(少年時代)という漫画。
今でも好きな作品だが、当時からいつかはこの作品がドラマ化か映画化されないかなあ、なんて空想(妄想かも知れない)していたら信じられないことが起こった。
私の場合、どういうわけかこういったことでは(思考は現実化)してしまうのだ。
少年時代連載終了から11年後、本当に映画化されてしまった。
おまけに日本アカデミー賞作品賞まで受賞。
私はその模様をテレビで観て涙した。
もちろん、映画も公開間もなく劇場で観賞
している。
主人公が少年倶楽部に触れるシーンも僅かに出てくる。
この時、私は20代。
時はバブル時代の真っ盛り。
久しぶりに少年倶楽部の存在を思い出したが、この月刊誌を追い求める想いはかつての様に再燃しなかった。

それから28年たった昨年のこと。
たまたま立ち寄った東京は中野にある古本屋で、ついに念願の少年倶楽部と対面することになる。
少年倶楽部は何冊かビニールに包まれて置かれていた。
気になって値段を見たら、なんと500円(当時)の安さだった。
思わず一冊を購入。
どういう人間が所有していたか不明だが、保存状態が見事としか言いようがなかった。
なにしろ70年以上もたっているのである。
新品同様とは言いがたいが、破れも虫食いもない。

家に帰ってビニール袋から少年倶楽部を取り出して眺める。
今の雑誌でいえば、文藝春秋くらいの厚みのある月刊誌だ。
面白いかどうかと問われれば、答えにくいが、少なくとも自分より若い連中に
「面白いから是非読んで!」
と薦められるものではないことは確かだ。それでも自分にとっては構わない。
少々ブランク?はあったが約40年近く追い続けてきた物を手にした気持ちは感慨深いものがある。
もちろん、父にも見せた。
私以上に父が懐かしがったのは、言うまでもない。

少年倶楽部は戦後になってから少年クラブ
と名前を代えて、小説や絵物語から漫画の掲載がメインになっていく。
いつか、こちらの方も探してみたい。