ブログを初めてから、初めての本格的なエッセイになる。
いきなりこのタイトルを見て、某テレビ局のBS番組を連想された方もおられるだろう。
もっとも、そちらの方はタイトルの頭に(ザ)の一文字がつくのだが。
ところで、少年倶楽部とは何か?
これは過去に存在した月刊少年雑誌のタイトルである。
この名前を聞いて、懐かしいと感じる方は
ほぼ戦前生まれの方だと思われて間違いないであろう。
筆者は戦後に生を受けたバブル世代の一人だが、今も健在している筆者の父は昭和ヒトケタ生まれ。やはり少年倶楽部を愛読していた一人だ。
さて、この少年倶楽部だが、創刊は1914年(大正3)であり、1962年(昭和37)年まで発行されていた。
実に48年の長きにわたって刊行されていたのである。
発行元は大日本雄弁会。
現在の講談社の前身にあたる。
ちなみに筆者が生まれたのは、この雑誌が廃刊になってから数年後のこと。
当然ながらタイムリーでこの雑誌を読んだことなどない。
そんな筆者が何故このような雑誌に興味を持ったのか?
簡単に言ってしまえば懐古趣味、昔懐かしの匂いのするものが大好きなのである。
それでは何故それが少年倶楽部という雑誌なのか。
それにはきっかけがあった。
今から丁度40年前、筆者がまだ小学生の高学年だった時のことである。
今でも子供たちの間で人気のある漫画ドラえもんのアニメが放映され始めた時期だ(厳密には2度目のアニメ化)。
ドラえもんの作者である藤子不二雄氏は
藤本弘(故人)と安孫子素雄のコンビから
成り立っていることは周知の事だが、安孫子氏(以下、藤子A氏と略す)がメインの作品に(少年時代)という漫画が当時の少年マガジンに連載されていた。
これは、太平洋戦争中に東京から富山県に疎開した少年の体験を描いた作品だが、個人的に素晴らしいと思える作品だった。
この作品の中に少年倶楽部が登場するのだ。
少年時代という漫画は、連載当初は評価も高くなかったようだが、連載終了と同時に
ファンレターが殺到したというエピソードを持つ。
この作品のおかげで少年倶楽部という雑誌に興味を持った戦後生まれの人間は、私だけではないであろう。
存在を知った以上読みたくなるのは当然の感情だが、その辺の図書館には置いてないであろうことぐらいは想像出来たし、筆者のような幼い頃から不器用な少年には古本屋巡りする力量もない。
国会図書館なんて頭に浮かばなかった。
どういう雑誌であったかについては、まず父親に聞くことから始まった。
それによると、少年小説がメインで
他にも絵物語が掲載されていて、漫画など
ほんの僅か。
田河水泡の(のらくろ)、島田啓三の(冒険ダン吉)などである。
(のらくろ)は我々の年代までは知っていた。小学校の図書館に何冊かあったからだ。ただ、それが戦前の作品だったと気づいた子供は少なかったようだ。
少年小説なら(宮本武蔵)でお馴染みの
吉川英治、(鞍馬天狗)の大佛次郎が有名だ。また、女流作家で有名な佐藤愛子の父親である佐藤紅緑の小説も好まれたらしい。
当時の私が父親から得た知識はそれくらいだった。
また、この雑誌は当時の少年たちにとっては高額な方で、毎月購入する家庭など裕福な家に限られていたようだ。
当時は大半が貧しい家庭だったから、そうした子供たちは裕福な家庭の子供から(お下がり)で借りて読んでいたというから涙ぐましい。
筆者の父親もそうした家庭だったことは想像出来るが、あえて口にして確認するなどということは恐ろしくて出来なかった。
前述した通り、私の懐古趣味は子供の頃からだった。よって少年倶楽部への想い?は募るばかり。
それでも気がついたら時がたつにつれ、少年倶楽部そのものへの関心は薄れていった。
当然といえば当然だ。
ところで、私が少年倶楽部に関心を持つきっかけになった(少年時代)という漫画。
今でも好きな作品だが、当時からいつかはこの作品がドラマ化か映画化されないかなあ、なんて空想(妄想かも知れない)していたら信じられないことが起こった。
私の場合、どういうわけかこういったことでは(思考は現実化)してしまうのだ。
少年時代連載終了から11年後、本当に映画化されてしまった。
おまけに日本アカデミー賞作品賞まで受賞。
私はその模様をテレビで観て涙した。
もちろん、映画も公開間もなく劇場で観賞
している。
主人公が少年倶楽部に触れるシーンも僅かに出てくる。
この時、私は20代。
時はバブル時代の真っ盛り。
久しぶりに少年倶楽部の存在を思い出したが、この月刊誌を追い求める想いはかつての様に再燃しなかった。
それから28年たった昨年のこと。
たまたま立ち寄った東京は中野にある古本屋で、ついに念願の少年倶楽部と対面することになる。
少年倶楽部は何冊かビニールに包まれて置かれていた。
気になって値段を見たら、なんと500円(当時)の安さだった。
思わず一冊を購入。
どういう人間が所有していたか不明だが、保存状態が見事としか言いようがなかった。
なにしろ70年以上もたっているのである。
新品同様とは言いがたいが、破れも虫食いもない。
家に帰ってビニール袋から少年倶楽部を取り出して眺める。
今の雑誌でいえば、文藝春秋くらいの厚みのある月刊誌だ。
面白いかどうかと問われれば、答えにくいが、少なくとも自分より若い連中に
「面白いから是非読んで!」
と薦められるものではないことは確かだ。それでも自分にとっては構わない。
少々ブランク?はあったが約40年近く追い続けてきた物を手にした気持ちは感慨深いものがある。
もちろん、父にも見せた。
私以上に父が懐かしがったのは、言うまでもない。
少年倶楽部は戦後になってから少年クラブ
と名前を代えて、小説や絵物語から漫画の掲載がメインになっていく。
いつか、こちらの方も探してみたい。
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