ところで、以下のような指摘がある。
次に正授戒〈和尚三問、受者三答〉、受け訖りて受者、礼三拝して具上に立つ。
次に和尚、起ちて卓前に到り、北に向かいて問訊焼香す。此の時、教授、受者の処に到り、示して曰く、「須く趺坐すべし」と。此の時、受者南面して具上に趺坐し、合掌黙然す。
次に和尚、唱えて云く、「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子なり」と。曲身問訊して受者を遶ること三匝す。教授・侍者、同唱同遶す。三唱訖りて、和尚、椅に著く。
『伝戒受戒道場荘厳法』、『続曹洞宗全書』「禅戒」巻・490頁下段~491頁上段、訓読は拙僧
これを見ると、いわゆる「登壇」の儀式なのに、登っていないことが分かる。なお、本書は加賀大乗寺に伝来していたものとされ、拙僧も個人的に、江戸末期頃の写本を所持しているのだが、『続曹全』の場合には静岡県旭伝院所蔵の、昭和6年写本を底本に翻刻したものである。また、岸澤文庫の写本から知られる原本の様子からすれば、逆水洞流禅師の撰述ともされるのだが、拙僧はその辺について、少し疑問が無いとはいわない。
逆水禅師は自身、別個に在家者への血脈授与式を模索しており(『続曹全』「禅戒」巻所収の『在家血脈授与式』)、それからすれば、本書のような「四衆伝戒式」については不要となるためである。強いていえば、大乗寺であることからして、月舟宗胡禅師・卍山道白禅師という師資が開いた禅戒会が更に整備されたものといえるような印象である。ただし、この辺はもう少し色々なことを調べてみないと分からない。
さて、それで今回見ておきたいのは、先に挙げた作法について、少し厳密に考えておきたいと思ったのである。
まず、正授戒が終わった後で、受者は三拝して坐具上に立つとされている。坐具とあるから、出家者だけかと思ったが、別の箇所を見ると「居士」「禅尼」とあって、在家の男女が戒弟に加わっていることが分かる。よって、在家者にも袈裟を着けさせ、坐具を持たせて随喜させていたことが考えられる。この辺は、むしろ今が簡略に過ぎるのであって、当時は在家者であっても袈裟を着けたことが明らかだから、坐具も持ったのであろう。
それで、和尚(戒師)は、蓮華台(椅子)から立って卓の前に到り、北に向かって問訊焼香する。これは、本作法の原点となった『仏祖正伝菩薩戒作法』と同様の進退である。そして、『菩薩戒作法』では続いて受者(戒弟)が蓮華台に登るのだが、その部分が無くて、代わりに教授師が「須く趺坐すべし」と促している。これが『菩薩戒作法』では、「須く椅子に著くべし」なのである。つまり、本作法での戒弟は蓮華台(椅子)に登らずに、その場で南面して趺坐=坐禅したのであり、その戒弟の周囲を和尚・教授師・侍者の3人が「衆生受仏戒」偈を唱えながら三匝したのである。
和尚はそれが終わると、また椅子に登り、続く『血脈』授与に備えるのである。
以上の流れから分かるように、本作法では戒弟を蓮華台には上げずに、その場で南面・趺坐のみさせて、その周囲を和尚などが回る作法となっている。確かに、この方が早いといえば早い。だが、戒弟を蓮華台に登らせることそのものに、宗教的意味を見出すこともある。それからすれば、本作法はやや簡略に過ぎる印象も受けるのである。
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