夫はいかにといふに、阿羅邏がいつたる趣きは、欲悪煩悩すべて一切の善らぬことどもを離れて善心に帰することを云て、その善心までを止めよといふの説ではない故に、非想といふが欲悪は想はぬといふこと。非々想といふは世の為人の為になる善事をば想はぬではない。それは想ふと云心で非想非々想天の法といつたものでこゝの場へ学びつけた者は学問の彼岸に到つたので、是が解脱といふものじやといふの心でござる。随分尤なことでおもしろいでござる。
また悉多が言ぶんは無理じやと申すわけは、非想非々想処、為有我也、為無我也。言無我、不応言、非想非々想処といつたが、是は知れたことでござる。なぜといふに非想非々想といふわけは右申したる如く、悪欲不善なることは思ふまい善きことをば想ふの義じやによつて為有我也、為無我也と問ふがものはない。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』41頁、漢字などは現在通用のものに改め、段落を付す
以上が、篤胤によるアーラーラ仙人の言説への評価であるし、更には、悉多太子への批判でもある。悉多太子は既に論じたように、アーラーラ仙人の説に対し、非想非非想定という優れた禅定に入っている間は、木石のようなものであり、それが解ければまた、普段の意識活動によって汚されると批判したのであるが、篤胤はここで、アーラーラ仙人の説を救おうとしている。
その意図だが、アーラーラ仙人の説である「非想非非想」について、これは「欲悪煩悩」など、全ての悪を離れて、善心に帰することだと、篤胤は述べている。しかも、善心まで止めるべきだという教えではないともいうのである。その結果、非想については、悪を想わないという意味であり、一方で非非想については、善をも想わない、という意味では無くて、「学問の彼岸」であって、これが解脱だと判断しているのである。
・・・篤胤の主張は、本当に通るのだろうか?確かに、『因果経』巻3では「非想非非想処に入る、斯の処を名づけて究竟解脱と為す、是れ諸もろの学者の彼岸なり」とある。結局、これを、篤胤はそのまま受けたのだろう。しかし、釈尊はこの見解を受けつつも、前回の記事のような批判を寄せている。
それから、篤胤がいうような、「非想」「非非想」の解釈が可能かどうかだが、少なくとも当方の調べた限りでは、同じ『因果経』巻3で、アーラーラ仙人自身が語った「空閑処に住して、禅定を修習す、欲悪不善法を離れ、覚有り観有り、初禅を得」というくらいしか分からなかった。つまり、非想非非想なんていうレベルの遥か手前で、悉多太子が問題にしたことはクリアされているということなのだろう。何故ならば、この後「第二禅」に於いて、この「覚・観」ともに除去されていくからである。
ということは、いきなり「非想非非想」のみを批判するのに、その途中で既になされていることを指摘しても意味は無い、と篤胤が考えていた可能性があるといえる。それが成り立てば、確かに「非想非非想」に於いて、「我」の問題を扱うのは不自然だという話にはなるだろう。
なお、この記事ではアーラーラ仙人と悉多太子の議論に注目したが、『因果経』ではこの悉多太子への疑問にアーラーラ仙人は答えられず、調伏されたとあるので、この記事も続く悉多太子の苦行に進みたいと想う。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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