それで、前々回の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。
一 威儀師
一 従儀師
延暦五年三月六日太政官符、威儀師の員を定むる事、右治部省の解を得て、偁く威儀師、其の員定まらず、比年の間、猶お増減有り、望み請う、法行大僧正の時に準じて定めて六口を補せん、若し其れ闕せしときは、随て即ち官に申さん、官制の請に依る、永く恒例と為す。
弘仁十年十月廿五日、太政官符、律師以上の員数、并に従儀師の数を定む云云、従儀師八人云云、但し威儀師の員は去る延暦五年三月六日の符に依れ。
『緇門正儀』12丁表~裏
この一節だが、以前に【「威儀師」一考】という記事で採り上げたこともあったが、とにかくこういった役職を定めたことだけが示され、実際の役職の内容は分からない。ただ、僧正・僧都・律師の下に於かれ、
一点、「法行大僧正」については良く分からないのだが、近現代の研究では行基だとしている。行基は745年に大僧正に任命されており、それ以降では事例が見られないことから、らしい。正直、「威儀師」については上記リンク先の方がまだ分かりやすい記事だと思うので、今日はここまでにしておきたい。
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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