ただ、そこまでいわれて、拙僧的に思うところがある。それは、例えば曹洞宗の歴代祖師が遺された文献を見てみると、この辺の使い分けはされていない印象があるので、調べてみた。
又女人および姉姑等の、伝法の師僧を拝不肯ならんと擬するもありぬべし。
『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻
そこで、拙い調べではあるが、道元禅師の場合は、引用文を除いてご自身の言葉として使われた「師僧」は、おそらく2カ所である(他に、「四禅比丘」巻)。一方で、「師匠」は以下の通りである。
在家・出家、洗面ののち、衣裳をただしくして、天をも拝し、神をも拝し、祖宗をも拝し、父母をも拝す。師匠を拝し、三宝を拝し、三界万霊・十方真宰を拝す。
同「洗面」巻
他に、「伝衣」「諸法実相」「袈裟功徳」「発菩提心」「四馬」などに見られた。つまり、結論から申し上げれば、道元禅師の場合、「師匠」の方が使用例が多いことが分かった。ただし、「礼拝得髄」巻に見た「伝法の師僧」という表現は大きく、もちろん現状の『宗制』の用法は極めて正しいことが分かる。
よって、簡単に結論を申し上げれば、「師僧」と表現することは自然だが、同時に「師匠」を殊更に否定する意義が無いといえる。
大宋の叢林の衆僧、師匠の忌日には其儀式あれども、父母の忌日は是を修したりとも見ざるなり。
『正法眼蔵随聞記』巻3
例えば、こちらの通りで、『随聞記』には3カ所ほど「師匠」という記述があるようだが、こちらなどは疑いなく仏道を学ぶ際の師匠を意味しているため、「師僧」と「師匠」はやはり、同じ意味として捉えてしまって良いと思う。
ちょっと気になったので記事にしてみたが、思ったほど深まらなかったので、以上としたい。
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