それで、以前の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。
一 大威儀師
天安三年四月廿七日、太政官符、伝灯大法師位正儀〈年六十﨟卅一〉薬師寺、伝灯大法師位延寿〈年卅二﨟二十〉興福寺、右、右大臣宣せらる、偁ぐ、勅を奉ず件等の僧、宜しく大威儀師と定むべけんや。〈以上、類聚三代格〉
『緇門正儀』12丁裏
そもそも「威儀師」とは、法会のときに、他の僧侶を指導して威儀を整えさせる役だという。よって、大威儀師の場合は、その威儀師の上位に当たる役目になるといえよう。上記の通り、天安3年(859、ただし4月15日に貞観元年へ改元している)4月27日、正儀(薬師寺)と延寿(興福寺)が、初めてこの職に就いたことが分かる。
それから、『類聚三代格』だが、古代の法令集であり、平安時代中期頃に成立したとされる。「三代」とは、弘仁・貞観・延喜という元号の時期の「格」を、神祇・仏事などの内容に従って分類したものである。古代の律令研究には欠かせない資料だというが、平安時代に何故本書が編集されたのかが気になる。まぁ、先行研究もあるのだろうけど。
もう一点「伝灯大法師」への理解も必要だが、それは【釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・22】で書いたので、ご参照いただきたい。これらは、「鎌倉仏教」に分類されるウチの宗派にとっては本当に関係無い話で、何の実感も沸かないからか、書いていても他人事なんだよな・・・
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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