つらつら日暮らし

立春大吉(令和5年度版)

今日、2月4日は立春である。そうなると、日本では「立春大吉」と書かれた御札を、門の正面から見て右側の柱に添付したりする(左側は「鎮防火燭」札)けれども、実際、「立春大吉」という4字で調べてみると、古い文献には出てこない。ただ、「立春」と「大吉」で調べると、一定の文章がヒットする。

例えば、以下の一節などはどうか?

 上堂、
 立春の日、百事大吉なり。
 門上に桃符を釘うち、籬頭に篳篥吹く。
 林下の参玄の人、口有りて只だ壁に掛く。
 泥牛鞭起すれば春耕に趂き、通身総て是れ黄金骨。
    『月江正印禅師語録』


この月江正印禅師という人は、13~14世紀にかけて中国で活躍した禅僧で、日本からの参学者も多くがその指導を受けたともされる。その人の語録に、上記の一節が出ていたので、見ておきたい。

まず上堂語なので、おそらくは当時の立春に行われた説法であろう。その際に、百事大吉であるという。そこで、門の上に桃の木から作った札を釘で打てば、まがきの上で「篳篥(竹でできた笛)」が吹かれている(仏法の妙なる働きを示す)。林下で仏道の悟りに参じている人は、惰眠を貪っていても、泥牛を鞭打てば田畑を耕すように、諸君はその全身が黄金の骨(仏性)なのだから、仏道に参じれば必ず結果が出るだろう、というくらいの意味である。

つまり、立春という日が大吉なので、その日に因んで、学人の奮起を促した、と読んだ。

ところで、この「立春大吉」の話だが、日本だと明治時代以降に、やはり「迷信」を嫌う人達によって、攻撃の的とされた。

正月元旦に『立秋大吉日』の五字を書いて、門毎に貼るのも、諸神諸仏の守護札を貼るのも払邪の禁厭である。
    八浜督郎『迷信の日本』警醒社・明治32年、211頁


以上の本は、迷信についてその来歴などを分析調査することで、結局は否定する内容の本ではあるが、上記の通り、正月元旦の行事として、「立春大吉日」の札を貼る儀式を挙げている。立春=正月とは、旧暦でも言い切れないのだが、便宜上、1月から「春」なので、立春を重ねて理解する場合もあったのである。

なお、「立春大吉(日)」については、かの妖怪博士・井上円了先生が「其表裏孰れより見るも字形同一なるがため」に貼るという。つまり、その札の前後分け隔てなく「大吉」をもたらすものだとしているが、この見解には典拠があるようで、江戸時代の叢書『燕石十種』にも「◯禅寺の門の札に立春大吉此四文字表裏なし」とあって、表裏なし(今の言葉であれば、左右対称)の文字であることに意味を見出しているわけである。

それから、日本の習慣かと思っていたら、韓国でも行うようなので、おそらくは中国の宋朝禅などで俗習が取り入れられて、その後、東アジア各地で習慣化したのかな?とか思う。

また、今回色々と調べていたら、無事庵という人の「門に貼る立春大吉のお札かな」とかいう俳句が紹介されていた。まさか、季語は「立春大吉」なのか?と思っていたら、いわゆる「立春」が主で、その下部として「立春大吉」を季語とするらしい。まぁ、この時期はまだ、真新しい御札が貼ってあるので、特に古刹の禅寺などでは、その建物に映えるかのように御札が見えるので、それをそのまま詠むというのも一つの情景か。

ということで、ごく簡単ではあるが、「立春大吉」に因んだ記事を書いてみた。明日からは、釈尊涅槃会に向けて、『涅槃経』『遺教経』などを学ぶこととしたい。

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