今日は、この「重陽」に因んだ、禅僧の説法を見ていきたいと思う。
重陽の上堂。
重陽黄菊、金綻びて新たなり。一掬秋香冷神に入る。雲天雁の陣南山の頂。誰ぞ在らん東籬感興の人。
感興は且らく置く。臨済の三玄三要、還た会得すや、也、無しや。若し会得すれば今晨、旧に依って是れ重陽。其れ或いは未だ然らざれば、汾陽の句偈を挙して注脚しもて去くなり。
三玄三要の事分かち難し〈鉄昆崙縫罅無し〉、
意を得て言を忘れれば道親しみ易し〈前箭軽く、後簡重し〉、
一句分明として万象該す〈卓、拄杖一下して云く〉、
重陽の九月、菊花新たなり〈拄杖を擲下して下座す〉。
『仏照禅師住慧日山東福禅寺語録』上巻
仏照禅師とは、白雲慧暁禅師(1228~1297、東福円爾禅師の資)のことである。まず、重陽の黄色い菊の意義を、金が綻びるとして讃歎し、新たな仏性がこの世界に現れ、秋香を掬って冷気の神に入れた。その結果、雁が南山の頂きに陣として飛び、東側の籬に感興する人は誰があろうか、と偈頌を詠まれた。
その上で、感興はしばらく置くとしつつ、臨済義玄禅師(?~867)の三玄三要の道理を、会得しているだろうか、と問い、もし会得すれば今朝、まさに重陽であり、そうでないのなら、汾陽善昭禅師(947~1024、中国臨済宗)の句偈の脚に注釈していこう、と示した。
三玄三要のことは分かち難い(それは、真っ黒な鉄には縫い目が無い)、
意を得て言葉を忘れれば、仏道に親しみ易い(前の箭は軽く、後の手紙は重い)、
一句を明らかにすれば全ての現象に当てはまる(杖を机に1回衝いて言うには)、
重陽の九月に菊花は新たに咲く(杖を投げ捨てて法座を下りた)。
さて、この汾陽善昭禅師の偈頌の典拠は、『汾陽無徳禅師語録』巻上である。そして、その内容は臨済禅師の「三玄三要」を採り上げているのだが、「三玄とは、玄中玄、体中玄、句中玄なり。三要とは、一玄中に三要を具う。自ら是れ一喝中なり。体、三玄三要を摂するなり」とされる(典拠は『人天眼目』巻2「臨済門庭」)。結局、一喝という分別を超えた働きに、どう馴染むかなのだが、それは言葉を忘れるところにある。
なお、それを慧暁禅師は「拄杖」を突き、それを放り投げるという動作をもって、表現されたのである。
ところで、汾陽禅師が何故、「三玄三要」を、「重陽」の上堂で用いたかなのだが、「三玄三要」を「九」と配したためであるけれども、拙僧がいわなくても、誰でも分かる話か。拙僧も、字の上達だけを目指して、菊の花のしずくに期待してみようかな。
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