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つらつら日暮らし

「四恩十善」にかかる雑考

現在の曹洞宗の宗典になっている『修証義』の思想構造について考えてみると、いわゆる「四大綱領」を基本にしていることは明らかだが、「四大綱領」を考えた大内青巒居士の見解を参照すると、大事なのは「受戒入位」と「行持報恩」になる。そして、これは以前、別の文章でも書いたことがあるのだが、青巒居士がこの2つを基本に据えたのは、「四恩十善」という考えが元になっているとされる。

「四恩十善」については、青巒居士が主体的に関わった明治時代初期の仏教結社であった和敬会や明道協会などで重視された。そして、この記事で見ておきたいのはこの原典であり、本来ならばどういう文脈で語られたものなのか?ということである。

然るに、「四恩十善」というのは、伝統的な文脈に存在しているのだろうか?その辺について見ておきたい。ところで、青巒居士は浄土宗・福田行誡の門弟の一人だったともされるが、その行誡が影響を受けたとされる江戸時代の真言宗・慈雲尊者飲光には、明道協会が明治17年に編集した『十善略説・四恩略説』が存在している。よって、慈雲尊者までは遡れるといえるが、両者を組み合わせたのは慈雲尊者ではあるまい。

例えば、拙僧が気になったのは、以下の文脈である。

師、深浅の行を説くは皆、意有り。故に五戒・十善因を天人の為に説き、空無相願、六度極まり無く、四等・四恩、生死に在らず、滅度に在らず、乃ち正真に入る。
    『仏説馬喩経』、『生経』巻4所収


「四恩・十善」で調べると、中国成立の文献でも、大概上と同じような感じで出てくる。つまり、「四恩・十善」のみではなくて、「五戒・六度・四等」などが一緒に出てくるのである。その意味では、仏教者が行うべき様々な善行を説く中に、「四恩・十善」があるということになるだろう。

ということは、「四恩・十善」を体系的に説くのは、比較的新しい見解だということになるのだろうか。考えを進めるために、先に挙げた慈雲尊者が両者を、どのように説いているのか確認しよう。

・十善とは聖主の天命をうけて万民を撫育するの法なり。此法ちかくは人となる道にして、遠くは仏の万徳を成就するなり。
・四恩は人人の荷負せる者なれば己心己体に反省して必ず報謝を志すべきの道なり。此道近くは世に処せるの善訓にして遠くは仏果に至るの善道なり。
    『十戒略説・四恩略説』参照


この両方ともに、実践した結果が二重構造として把握されていることに留意したい。つまり、結果に遠近を設けているのである。近い結果として、十善は「人となる道」であり、四恩は「世に処せる善訓」である。これはそのまま、在家者に於ける通誡として理解出来るといえよう。一方で、遠い結果としては、十善は「仏の万徳の成就」であり、四恩は「仏果に至る」こととされるから、出家者に通じる内容だったといえよう。

その意味で、「四恩・十善」とは、在家者にも出家者にも通じる実践理念として構築されると考えられていたと思われ、江戸時代と比べて、出家・在家の立場が混沌とした明治時代に、四衆を通じて共有できる実践理念が模索されたことについて、考えねばならないといえる。ただし、福田行誡『行誡上人全集』(仏教学会・明治32年)を見ると、「十善戒」「四恩」はそれぞれに見解が示されているが、両者が並列的に語られている文脈は無い印象である。

そうなると、両者を敢えて組み合わせたのは、明治時代に入ってからだったのかもしれないということになる。意外と、これが大内青巒居士の発想だったりすると面白いのだが、よく分からないのが残念だ。ただ、釈雲照律師の可能性もあり、この辺は最近、研究書も出ているので、読んでいきたい。

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