そこで、そちらの記事だけでは話が続いていかないが、別の文献を見ていくと、この辺が分かる。
一、能受の人、五種有り。
一つには是れ人道なり。故に律に云わく、「天子・阿修羅・非人・畜生、得戒せず」。故に論に云わく、「三帰・五戒、唯だ人中のみ有り、余道には無き所なり」。
南山道宣『四分律刪補随機羯磨』巻上「◎諸戒受法篇第三」
この「能受の人」というのは、よく戒を受けるべき人ということだが、それに五種あるとしている。この全てを採り上げると、人権的な問題が含まれるので、とりあえず1つだけでも見ておきたい。
それで、上記の文献では、戒を受けるべき人は、「人道(人間界)」であるという。そこで、道宣は『律』を引いて、天上界・修羅界・畜生界、そして非人とあるのは、人間以外の生き物という仏典の訳語であり、差別用語として捉えてはいけない。それで、道宣が引いた『律』だが、この文章がそのまま出ている文献は無いようだが、いわゆる「遮難」という、受戒資格の確認事項の中に、これらの一部が出ているので、それが影響したことが考えられる。
それから、『論』については、三帰・五戒を受けるのが人間界のみで、他の世界の生き物には無いという見解だが、この『論』は、『薩婆多毘尼毘婆沙』である。
問うて曰わく、「何を以てか但だ人のみ害して波羅夷を得るや」。
答えて曰わく、「人中に三帰・五戒有り、波羅提木叉戒なるが故に、又た沙門の四果、多く人中に在りて得る。仏と辟支仏と、必ず人中に在りて漏尽を得るが故なり」。
『薩婆多毘尼毘婆沙』巻3「殺戒因縁第三」
この言葉を、道宣なりに言い換えたのが、先の一節だと思われるのだが、結局、人間界にのみ、三帰・五戒などがあるといっているのである。それで、結局この戒律が、そのまま輪廻説などにも応用されて、持戒すれば善い結果が、持戒できなければ悪い結果が、という話にもなりやすいわけだが、教化の対象としての人間界に向けての話であるから、この話だけで何とかなるのだろう。
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