その前に、篤胤は「仏・仏陀」という用語の定義を考察している。
この如く一切のことをさとつたものと云義で仏とはいひ、その道を仏道とは云てござる。仏とは天竺の詞で翻訳名義集によつて見れば、仏陀こゝには云智者学者とあるから、さとつた人といふことでござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』58~59頁
以前から、篤胤が参照した文献の解明を目指しているのだが、ここでは『翻訳名義集』の名前が見えている。同書は南宋代の法雲が編集し、1143年(紹興13)に成立している。なお、仏典に見える重要な梵語2,000語余りを64編に分類して、字義と出典を記したもので、いわゆる「梵漢辞典」となっている。
本書は日本を含めて度々刊行などされ、その体裁は7冊本や20冊本などがあるようだ。現在であれば、『大正新修大蔵経』巻54に収録されているため、ネット上での検索なども可能である。
そして、日本でも寛永・寛文といった17世紀中に刊行されており、おそらくはその後も後刷が何度か出版されたものか、各宗派の学僧達には広く活用されており、その一部が篤胤の手元にあったとしても、全く不自然ではない。ここで篤胤が引いた言葉だが、またややこしいことに、「云智者学者」という字句が見られるわけでは無かった。何だろう?記憶していたのを、適当に挙げただけだろうか?
ただ、おそらくはここだろう、と思われるのが「 【仏陀】大論に云わく、『秦に知者と言う。過去・未来・現在、衆生・非衆生の数、有常・無常等の一切諸法を知る。菩提樹下に了了として覚知す、故に仏陀と名づく』」(『翻訳名義集』巻1「十種通号第一」項)である。しかし、これなら、最初から鳩摩羅什訳『大智度論』巻2を引いた方が早かったのでは?とか思えてしまう(孫引きになってしまうから)。敢えて辞書を引くことで、用語の学び方でも伝えたつもりだったのだろうか?何か、そういうことが気になってしまった。
それで、他にも『翻訳名義集』から引用している箇所が無いものかと探ってみたが、『出定笑語』でも少なくとも他に1箇所(『出定笑語』巻4、前掲同著173頁)、更には他の文献でも度々引用されている(主として、「三身」「盧舎那仏」などへの言及)ようなので、どうしても仏教書を読み解くにあたり、音写された言葉はかなり独特だから、それへの対処として、篤胤が採った方法が『翻訳名義集』の引用だったことが分かるのである。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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