偈に曰く、能く四布薩業を分別す。
釈して曰く、布薩羯磨に四種有り、一には四部の初布薩と為し、僧布薩と名づく。二つには三人布薩、多布薩と名づく。三つには二人布薩、双布薩と名づく。四つには一人布薩、単布薩と名づく。
『律二十二明了論』
ここから、布薩には人数の多寡でもって種類を分ける事例が存在していることが分かる。そこで、今回問題にしたい「一人布薩」については、別に「単布薩」とも呼ばれているようだ。それで、具体的な作法についても確認したいのだが、「単布薩」では良く分からない。更に、「一人布薩」にしても、いわゆる『律蔵』本体には出てこず、註釈書などにようやく見える程度である。
それで、そういえば、「一人布薩」について、以前に或る文脈を読んでいたことを思いだした。
若し布薩の日は、新学菩薩、半月半月に布薩し、十重四十八軽戒を誦すべし。若し戒を誦する時は、諸仏・菩薩の形像の前に於いて誦すべし。一人布薩するには即ち一人誦し、若しは、二人・三人、乃至、百千人も亦た一人誦す。誦する者は高座、聴く者は下坐し、各各、九条・七条・五条の袈裟を披るべし。
『梵網経』「第三十七故入難処戒」
この通り、中国で編集された『梵網経』には、大乗菩薩戒としての布薩にはなってしまうけれども、「一人布薩」が認められている。しかも、この布薩の時には、半月ごとというので、後の略布薩にも繋がる行法ではあるけれども、「一人布薩」を行える理由として、「諸仏・菩薩の形像の前」で唱えることを認めている。
つまり、対僧衆ではなくて、仏像などを前に行うことで布薩を成り立たせているのである。その意味で、布薩する側の人数は関係が無いともいえる。そのため、一人布薩でも、二人・三人・百千人であっても、その時に戒を唱えるのは一人のみとなるのである。この辺は、後の日本の各宗派で構築された布薩の行法に、少なからずの影響を与えている。
ただし、これは、あくまでも菩薩戒の場合であって、先に挙げた『明了論』とは異なっている。つまり、同論の場合は、仏像などを前に行っていたのではあるまい。
それで、直接参照出来るわけではないが、関連する文脈として、以下の一節を見ておきたい。
云何が持律六徳なるや。
一つには波羅提木叉を守領し、
二つには布薩を知り、
三つには自恣を知り、
四つには人に具足戒法を授けることを知り、
五つには人の依止を受け、
六つには沙弥を畜うることを得る。
是れを六徳と名づく。
云何が波羅提木叉の守領なるや、十四日布薩、十五日布薩、和合布薩、僧布薩、衆布薩、一人布薩、説波羅提木叉布薩、浄布薩、勅布薩を知り、是れを九布薩と名づく。此れは是れ、律師の知る所なり。
九自恣有り、一つには十四日、二つには十五日自恣、三つには和合自恣、四つには僧自恣、五つには衆自恣、六つには一人自恣、七つには三語自恣、八つには二語自恣、九つには等歳自恣なり。此れは是れ、律師の知る所なり。
衆僧に四法有り、一つには白僧、二つには白羯磨、三つには白二羯磨、四つには白四羯磨なり。此の四法、是れ律師の知る所なり。修多羅師、阿毘曇師の知る所に非ず。若し律を解さざれば、但だ修多羅、阿毘曇のみを知りても、沙弥を得度し、人の依止を受けざれ。
『善見律毘婆沙』巻16
これは、律の註釈書となり、既に「持律六徳」といった体系化がなされる中で、様々な種類の布薩や自恣などを入れ込んでいることが分かる。なお、個人的には「持律六徳」自体が興味深いので、これはこれで何かの機会に検討したいと思っている。
それで、上記の体系化された「持律六徳」の中に、「一人布薩」や「一人自恣」が見られる。特に前者については、「和合布薩、僧布薩、衆布薩、一人布薩」とあって、『明了論』の「僧布薩、多布薩、双布薩、単布薩」に対応しているものと思われる。行法的には不明の部分が多く、部派仏教でも最初の頃には認められていなかったが、「経師・律師・論師」という分業化が図られる頃には、「一人布薩」が行われ、想像するに、自ら戒本を読んで、内容の確認を行うものだったのではないかと思う。
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