二月八日に成仏し、
二月八日に転法輪し、
二月八日に降魔し、
二月八日に般涅槃す。
『菩薩処胎経』巻7
例えば、上記のように或る経典などでは、釈尊に係る特記事項については全て、「二月八日」であるとしている。そこで、釈尊の成道が12月8日であるとするのは、意外と新しい見解にもなるようであるし、その後も異論が起こったりして、結構、この辺は揺れたようである。
宋代以降に成立した中国禅の清規に於いて、「二月十五日は仏涅槃、四月八日は仏生辰、十二月八日は仏成道の如し。此の三日、当に法座を鋪設して、祝香自づから常格有るべし」(『叢林校定清規総要』巻下「一 上堂普説小参」項)などとされ、現在の日本でも多く用いられている3日(三仏忌・三仏会)として確定した印象である。
ただ、成道の日を「十二月八日」とする経論は、当方でも探すのには苦労し・・・何だろう?12世紀初頭に成立した『禅苑清規』でも同様だから、やはり中国禅でこの日にしてしまったのだろうか?この辺は、また機会があれば調べてみようと思う。
さて、今日は釈尊成道会であるので、関連する説示などを見ておきたいと思う。
上堂に云く、
如来、明星の現ずる時成道す。
僧有りて問う、如何なるか是れ、明星の現ずる時成道す、と。
師云く、近前し来たれ、近前し来たれ。
僧、近前す。
師、拄杖を以て打趁す。
『雲門録』巻上「対機三百二十則」
これは、中国雲門宗の雲門文偃禅師(864~949)による弟子への接化を記録した文章である。内容としては、雲門禅師が成道されて、「如来は、明星が現れた時に成道された」と仰った。すると、会下の大衆の中から僧が出てきて、「明星が現れた時に成道されたとは、どういうことですか?」と質問した。
雲門禅師は「こちらに来なさい、こちらに来なさい」と招いたので、僧が近づくと、雲門禅師は拄杖を持って追いかけ回した(=打趁)としている。問題は、この「打趁」の解釈であろう。要するに側に寄っていったわけであるから、明星現成という働きが、釈尊を追いかけるようにして成道させたことを端的に示したものだろうか。
ところで、これだけで終わると、少し短すぎるので、釈尊成道の「純粋経験」的捉え方を考えてみたいと思う。「純粋経験」といえば、西田幾多郎博士が『善の研究』「第一編・第一章」で詳述されたように、判断の加わる前の、経験そのまま、事実そのままであり、純密に統一された意識でもある。つまり、この場合、明星が現成した、というただそれだけに徹している時、成道に至っているとはいえる。つまり、自己自身がどこにもなく、転ずれば全てが自己として、ただ明星の現成なのである。
そうなると、この明星の現ずる時に成道するということを問いにすること自体、何ら有意味的な答えを発するように出来ていない。ここで有意味的な答えを求めること、それ自体が明星の現ずる時の成道から遠ざかる行いである。そのため、明星の現ずる時の成道そのものとなりきった雲門禅師が、無心のままに質問者を追いかけた、ということになる。
いやまぁ、当方の勝手な理解でしか無いが・・・とりあえず、非常に短い教えではあるが、釈尊の成道を元に交わされた禅僧達の問答を味わってみた。
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