堂頭和尚―胡―つこと、胡椒のこと、老人になつて、血気のうすうなつたものは、食してよし、若輩なものは、食ふと熱がでる、そうすると、天然と五臓が不和合になる、前の橄欖・茘枝の下につづき走なもの、下書ゆへに前後がある、
面山瑞方禅師『宝慶記聞解』坤巻(明治11年版)11丁表、カナをかなにするなど見易く改める
いきなり???となったのだが、面山禅師は『宝慶記』に「胡椒」に関する説示があるとするのだが、最近用いられる懐奘禅師書写本や宝慶寺本由来の翻刻からすれば、一般的な『宝慶記』のテキストには見当たらないことになる。なお、上記一節については、おそらく以下の一節についての提唱だと思われる。
堂頭和尚慈誨して曰く、功夫弁道坐禅の時、胡菰を喫すること莫れ。胡菰、発熱するなり。
『宝慶記』第25問答
それで、上記一節の対校を調べてみて、胡菰について、面山禅師校訂の「明和本」では、「胡椒」にしていることが分かった。よって、『聞解』で「胡椒」の話をしていることになる。
なお、宇井伯寿先生訳註の岩波文庫本の対校に依れば、各写本では「胡菰」「胡苽」とも表記されているが、宇井先生は草書体の問題があった可能性を指摘している。問題は、中国の南宋、日本の鎌倉時代にこの字面が何を意味していたか、である。おそらく、「胡菰」は字の形状などからキュウリ(胡瓜・黄瓜)を意味していたかと思われる。一方で、「胡椒」はコショウである。それで、両方とも、かなり早い時期から中国はもちろん日本にも伝来しており、表記も存在していた。
そう考えると、後は面山禅師が何を理由に表記を変更したかだが、キュウリとコショウと並べてみると、理由は一目瞭然といえるかもしれない。
ポイントは、「発熱」であり、これは身体が熱くなることを意味している。そこで、キュウリなどは身体を冷やすものというイメージがあるから、それではあるまい。よって、面山禅師は「コショウ」に変えたのだろう。コショウにはピペリン(辛みの成分)という物質が含まれ、しかも、この物質は血管を広げる効果があり、血流が良くなるとされる。その結果、冷え症の改善も期待出来るという。
そのため、身体が熱くなるという観点でいうと、「コショウ」が正しいことになるのではなかろうか。だからこそ、面山禅師は本文の表記を変えたという推測が成り立つだろう。その点について、『聞解』で面山禅師は特に指摘されていないが、どこかに書いてあるのかもしれない。
ということで、最初に引いた面山禅師の見解に戻るが、まず、コショウについては老僧は食べて良いという。理由は、血気が薄くなった状況を改善するためである。しかし、若い者はかえって効き過ぎて、五臓が不和合になるというので、勧めていない。
また、「下書ゆへに前後がある」というのは、『宝慶記』に対する書誌学的な指摘であり、『宝慶記』末尾には本書を、道元禅師の遺品から発見した懐奘禅師が「之を草し始めしも、猶お余残在る歟」と書き残しているのである。つまり、道元禅師が下書きのみされて、しかも、その全てを書いているわけでは無いということになる。懐奘禅師が、わざわざ「草し始め」とされる限りは、新しい紙にでも書かれ始めていたのだろう。つまり、一般的に、道元禅師が中国留学時の記録を書き残したとされているが、実はそうとは言い切れないというのが、『宝慶記』の難しさなのである。
それで、面山禅師はこの「コショウ」に関する話は、別の場所に書いてあるべきなのでは?と疑義を呈している。それは、天童如浄禅師が初学者に向けて示した第5問答で、「多く龍眼・茘枝・橄欖等を喫すること莫れ」とあるのに続くような文章だと仰っているのである。だが、下書きだから、この辺が前後曖昧だという指摘になる。そういうことも理解出来る講義であった。
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