そこで、早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ところで、今回紹介している『彼岸之弁』という文章なのだが、いよいよ彼岸期間中に天上界で何が行われているか、理解が進んできた。今日も読み進め、中世から近世にかけての彼岸に因む世界観を学んでみたい。
亦、有る経に曰、「浄土を欲すれば先ず須く其の心を清むべし。其の心浄なれば浄土なり」とあれば、是れにてもすべて、仏説は因縁咄しの内に眼を高く著けて看よ。咸く文字の外に仏智見の道理あり。
又、仏の密意、開示悟入の近道有ることを知るべし。
惣て人間の生るヽより死する迄、両の肩に倶生神と云ふて、二人の冥官あり。一人を日生界と名けて左の肩にあり。一人を日名男と名けて右の肩にあり。二人共に其の人の生の善悪を記すとあり。
然るに日生界は悪を(※「記す」脱字か?)役なれば、墨するまもなくせわしきとあり。
又、日名男は(※「善を」脱字か?)記す役なれば筆を取る用もなく、昼夜眠る而已と、説玉へり。
『志妄想分別集』2丁表、カナをかなにし、漢字も現在通用のものに改めるなど見やすくしている
まず、「有る経」の引用があるが、これはちょっと引用の仕方が悪く、何とか無理矢理読んでみたが、ちょっと繋がりが悪い。実際には、『維摩経』を典拠としており、同経の原文は「若菩薩欲得浄土、当浄其心、随其心浄、則仏土浄」とある。そして、本論は同経の見解を元に、おそらくは衆生の心に随って、善悪量業が定まることを示したといえよう。また、そのために、因縁話(説話・物語)をよく見るべきだという。これは、説話で心を糺していくべきだということになるか。また、文字の外に仏智見があり、仏の密意とは開示悟入の近道があるというが、これは禅宗的立場に近づけつつ、『法華経』も参照していることになるといえよう。
さて、そのような仏の道理の話に続いて、後半は「倶生神」の話題である。「倶生」とは、「ともに生まれる」の意味で、人が生まれると、必ずその両肩に止まるように存在するという。そして、一人は「日生界」といい、もう一人は「日名男」という名前であるという。略して、「日生」「日名」とのみ書かれる場合もあるようだが、ここでは上記内容として受け取っておきたい。
善悪の記載について、若干の脱字などもあるけれども、意味は理解出来る。要するに、悪事を記す役の冥官は、いっつも悪事ばっかり働く人が多いから、墨をする暇もないとし、一方で善事を記す役の冥官は、善事を行う人が少ないので、暇そうに寝ているというのである。この辺は、彼岸に因む関連説話の1つだといえよう。
又、曰、欲界六天のうち、夜摩天と都卒天と間だに雲処台と云こと有り。其の前に中陽院と云あり。此の二つの宮殿に諸天善神集り玉ふなり。先づ三界の主、大梵天・忉利天の主帝釈天、四天王の主多聞天・持国天・増長天・広目天王及び日天子・月天子、七曜・九曜・二十八宿、其の外天部の諸天善神并びに天地祇惣じて上天下界の冥官衆と、一人も漏ることなく、彼岸に当て皆な彼の中陽院に寄合て一切衆生の善悪作業を記する也。
同上・2丁表~裏、同上
ようやく「中陽院」の説明が出て来た。そして、本論の構成が理解出来た。本論は、我々衆生の善悪がどのように「閻魔帳(及びそれの類書)」に、どのような者達が、どのように記録していくかを、ほぼ網羅的に示す意図があるということである。既に「倶生神」のことを紹介したが、続いて「中陽院」であり、更に「炎王の冥官」「司名司録神」なども書かれている。その辺は次回以降に見ていくが、まずは上記内容のみ見ておきたい。
これは、天の世界に「雲処台」があって、その前に「中陽院」があるということである。この2つの宮殿には諸天善神が集まって、「彼岸に当て皆な彼の中陽院に寄合て一切衆生の善悪作業を記する也」という。実は、他の記録者達は、我々の一生涯続けて行うように思われるのだが、「中陽院」は名称からしても、彼岸である。「中陽」とは、太陽が天の真ん中を通る意味であり、その場所にある「中陽院」から記録されるという仕組みが示されたのである。
そこで、どうもこの中陽院の仕組みと併せて、彼岸に善行を行うべきだと勧められたのである。その際の善行が、寺院参り・お墓参りだったといえる。
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