つらつら日暮らし

今日は目の愛護デー(令和6年度版)

今日、10月10日は目の愛護デーである。何故、今日なのかは以下の通りである。

一 一
〇 〇


このように、漢数字で並べてみると、目と眉毛になるためである。この目の愛護デーに関する歴史は古く、1931年(昭和6)に失明予防の運動として、10月10日を「視力保存デー」と定め、中央盲人福祉協会主催、内務省、文部省後援で毎年活動をはじめたのがきっかけとのことである。

栄養状態が悪かったり、衛生状態が悪かったり、或いは生活環境が悪かったりすると、やはり視力が悪くなる。拙僧などは基本的に朝早く起きて勉強するタイプだったので、このブログを始めた20年前ではまだまだ視力も良かったが、そろそろ50歳という数字が目の前にまで来ると、流石に視力も落ちてくるし、目に関する問題点も複数見受けられる。今後はよくよく治療なども含めて行う必要があると思う。

さて、この記念日の変遷だが、1938年(昭和13)から1944年(昭和19)までは9月18日を「目の記念日」としたが、1947年(昭和22)に再び10月10日を「目の愛護デー」と定め、1950年(昭和25)から厚生省(現:厚生労働省)が共催(現在では主催)となり、毎年目の健康に関しての活動をしている。

ところで、今日という日に因んで、道元禅師の教えを学んでみたい。

三千威儀経に云く、楊枝を用いるに五事有り。一つには断ずること当に度の如くなる。二つには破すること当に法の如くなる。三つには頭を嚼むこと三分を過ぐることを得ざれ。四つには歯を疏すには、中に当て三たび齧む。五つには汁は目を澡ぐ用に当つ。いま嚼揚枝・漱口の水を、右手にうけてもて目をあらふこと、みな、もと三千威儀経の説なり。
    『正法眼蔵』「洗面」巻、下線は拙僧


道元禅師は、『三千威儀経』という、出家した僧が行うべき様々な行(=威儀)について規定された経典から、その口をゆすぐ水について述べられた箇所について考えている一節なのだが、ここでは歯をゆすいだ水を使って目を洗うと良いとされる。

ここには、歯垢などが入って衛生上問題があるのではないか?と思ってしまうが、『正法眼蔵』提唱で知られる岸澤惟安老師は、この箇所を以下のように述べられたという。

澡目の用にあてるというのは、口中の粘液と塩分とを混ぜたもので目をあらうと、目のためによい。
    『正法眼蔵全講』第20巻、300~301頁


この口をゆすぐときに使う水には、塩を入れたようだが、岸澤老師はこの塩と唾液が混じると目に良いからこうしているという説明をされた。塩は分かるが、唾液はどうなのか?と思っていたら、貝原益軒の『養生訓』に、そんな記述があるとされる。

牙歯をみがき、目を洗ふ法、朝ごとに、まづ熱湯にて目を洗ひあたため、鼻中をきよめ、次に温湯にて口をすゝぎ、昨日よりの牙歯の滞を吐すて、ほしてかはける塩を用ひて、上下の牙歯と、はぐきをすりみがき、温湯をふくみ、口中をすゝぐ事ニ三十度、其間に、まづ別の碗に、温湯を、あら布の小篩を以こして入れ置、次に手と面をあらひ、おはりて、口にふくめる塩湯を、右のあら布の小ぶるひにはき出し、こして碗に入、其塩湯を以目を洗ふ事、左右各十五度、其後べちに入置きたる碗の湯にて、目を洗ひ、口をすすぐべし。
    『養生訓』巻5「五官」


この記述が該当するようである。調べてみると、結構多くの論文などで参照されているようだ。現在では、流石にここまでのことはしないと思うし、歯磨きも塩は使われていないだろう。この辺は、科学の進歩によってよりよい方法があれば、それで良いと思うのだが、どうなのだろうか。

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