こんにちは!
21回目の旅はまたまた霧島市になります。
そのなかの旧・牧園町という所を訪れてみました。
有名な霧島温泉郷は旧・霧島町ではなくそのほとんどが牧園町の方にあります。
今でこそ合併して霧島市となりましたが合併前は千葉の東京ディズニーランドみたいな
感覚だったのでしょうか?
そんな牧園町ですが、旅に行って見ましょう!!
みやまコンセール。
ここはいわゆるコンサートホールで正式には霧島国際音楽ホールという。
画像にあるのは野外会場。
霧島連峰をバックにした画像。
今は1月なので寒くて野外で演奏することは無いだろうが
夏とかはライトアップもされて盛り上がるんだろうな。
これが本当のみやまコンセール。
音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれている。
みやまコンセールのすぐ隣りにある広い運動場に植えてある昭和天皇御手植えの3本の杉。
昭和59年御手植えということなので32年ほどの時を経てここまで成長したことになる。
私より1歳若いからほとんど同世代だなあ(歳がばれるw)
昭和10年(1935年)、昭和天皇が鹿児島に陸軍の大演習視察の為、この場所で御展望された際の記念碑。
天降川。近くには坂本龍馬が妻のお龍と共に新婚旅行で霧島に訪れた際に立ち寄った塩浸温泉がある。
画像から見える川の岸壁は凸凹と削られたような跡があるが
これは大昔に霧島山が噴火した際の火砕流が造ったものだという。
天降川沿いにある安楽温泉街。近くには先ほどの塩浸温泉の他、妙見温泉や日の出温泉等もあり
霧島市では霧島温泉郷に次ぐ規模の温泉地域である。
安楽温泉も含めこの地域の温泉はすべて国道223号線沿いにある。
安楽温泉の一つ、鶴乃湯。
源泉100%であるこの鶴乃湯さんは
こじんまりとしていながらも、内湯、露天風呂、打たせ湯、水風呂、天然ミストサウナなど
すべて天然にこだわった素晴らしい風呂だった。
特に露天風呂の景色は最高。
天降川の綺麗な景色を見ながらの湯船は幸せだった。
しかもタイミングがよかったせいか、一人貸しきり状態だった。
熊襲の穴と呼ばれる場所に到着。
妙見温泉のすぐ近くにある。
熊襲というのは前回で訪れた旧・隼人町の隼人塚でも登場したが
南九州、薩摩大隅地方を治めていた部族の名である。
その熊襲が居住していたとされる洞窟がここにあるという。
鳥居をくぐり、山中へと入っていく。
なにやらただならぬ雰囲気を感じる。
ちょっと怖い。
洞窟までは結構遠いようだ。
密教の修行僧になったような気分になる道である。
ようやく入り口が見えてきた。
熊襲隼人と書かれた屋根門。
薩摩隼人なら知っているけど。
でも熊襲はこの時代鹿児島そのものといってよかったから
間違いではないな。
ようやく辿り着いた熊襲の洞穴。
鳥居があるし、入り口も狭そうだから入れなさそうと思いきや
どうやら入れるみたいだ。
なんと洞窟内を照らす証明スイッチ付きのようである。
これはびっくり。
恐る恐る入ってみると、中は結構広いようである。
え?
何じゃこの絵は?
まさか、さすがに熊襲族が描いた絵ではないでしょう。(後で調べたが1990年にモダンアートの美術家が創作したとのこと)
しかし、貴重な歴史物をいじって大丈夫なのか?
まあ、それはともかくとしてこの熊襲穴についての歴史を調べた結果
あることがわかった。
まず、この洞穴で熊襲族の首領、兄の熊襲建(くまそたてる)さんと弟の川上梟帥(かわかみたける)さんは
日本童男(やまとおぐな)さんに討たれたそうだ。
日本童男は景行天皇の息子で、熊襲討伐の命でこの鹿児島まで来たらしい。
まともに戦うには熊襲族は強大な力を持っていたということで、
まず自身を女装して熊襲の宴に潜入。踊りをしつつ建・梟帥兄弟に近づき酒を飲ませ
油断していたところを隠し持っていた短刀で刺したという。
そのとき弟の川上梟帥(かわかみたける)が死ぬ直前に
『私のような強人を倒すとはあなたの武勇には恐れ入った。あなたを讃えて私の名前を差し上げたい』と
川上梟帥は自分の名「たける」を日本童男に差し出すことを提案した。
これを受け入れた日本童男は名を改め日本武尊(ヤマトタケル)と名乗ったそうだ。
ヤマトタケルと言ったらヤマタノオロチとかと戦う古代の勇者という伝説の英雄かと思っていたら
実在したのですね。
というか、まさかこの鹿児島の熊襲族の川上タケルさんが名前をあげたことが由来になっているとは
初めて知りましたw
うーん。歴史って面白い。
和氣(わけ)神社。
日本で一番でかいとされる大きな絵馬がある。
和気清麻呂公命を祀る。第11代薩摩藩主 島津斉彬公の調査によって
和気公がこの地に流罪になったことがわかったという。
和気公というのは奈良末期から平安初期に活躍した貴族で、道鏡という僧との政争に破れこの霧島の地に流刑となった。
が道鏡失脚後に復帰する。
後に平城京から平安京に遷都を進言し造営の責任者としても活躍した。
ある意味京都を造った男であるとも言える。
和気公は難事があった際に猪に命を救われたことがあって
その縁から狛犬ならぬ狛猪が置かれている。
和氣神社の近くには犬飼滝という滝の名所があり
こちらも坂本龍馬・お龍夫妻が訪れている。
犬飼滝。
これで旧・牧園町の旅は終わりです。
あ、今回、飯食うの忘れていた。
地元のラーメンや定食を食いたかった・・・