旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

トルニンが選ぶ 垂水市のご当地品

2017-01-08 00:17:07 | 14.鹿児島県・垂水市の旅
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株式会社 財宝


地下1000メートルから汲み上げた天然温泉水のミネラルウォーター。
超軟水なので超飲みやすい。
垂水が誇る至高の温泉水。毎日の健康にも是非。

鹿児島県・垂水市の旅 第14回

2017-01-03 21:54:55 | 14.鹿児島県・垂水市の旅

こんにちは!

今回はいよいよ初の鹿児島湾に到達することになります。
それは旅の目的地が垂水(たるみず)市だからです。

垂水市は面積こそ広いものの、山間部の割合が多く、そのため海沿いの少しの平野部に人口や経済が集中しています。
そんな、垂水市は桜島と唯一の隣接自治体であり、鹿児島市ともフェリーで繋がっているため
かなり地理的にも交通的に重要な地域です。





県道72号線。これを海沿い方面へと進めばいよいよ鹿児島湾と垂水の町並みが見えてくるはず。





県道72号線を下る途中で見えた桜島と鹿児島湾。
なかなかの絶景である。
やっぱり鹿児島といったら桜島の見える風景を見ないと!





鹿児島湾が見えてきたと同時に海沿いの町、牛根地区も見えてきた。





国道220号線沿いの牛根地区の様子。基本、平地が少ないせいか民家が国道沿いに密集している。
夜間は特に静かに走行しましょう。





牛根地区を南に進路を取り、道の駅たるみずを目指す。
途中、宇喜多秀家公の潜伏地なる場所を示す案内板を見つけたので
寄り道することに。
車を降り、民家の中を通る小道を進む。
と言ってもかなり森の中だ





道は続くも森は続く。





七人塚という場所を発見。早速行って見ることにした。





七人塚。これは返り討ちにあった追っ手の供養塚らしい。
牛根地区は、平野家という一族が治めていた地域らしく、
この平野という姓は源平で有名な平氏から来ているという。

壇ノ浦の戦いで敗れ滅亡した平氏の残党がここ、垂水の牛根まで辿り着き土着したが
源氏の7人の追っ手がここ牛根までやってきて平野氏を討ちに来たという。
それを平野氏お抱えの剣豪が7人全員を返り討ちにしたと伝わる。

その7人を供養した場所がここになるというわけだ。

宇喜多秀家公は潜伏期間中、毎日欠かさずこの7人塚へお参りしていたそうだ。
そして宇喜多氏も平野氏のように追っての東軍、徳川軍を返り討ちにしたかっただろうが
結局捕まって、八丈島に流されることに。





七人塚を後にし宇喜多公の潜伏地を目指したが、道が荒れているため通行止めに。
おそらく、10月の台風で道が崩壊したのだろう。
ものすごく強い台風だった。920ヘクトパスカルくらいの強さで直撃したからなあ。
実家の長野とは違って、やっぱり九州それも鹿児島は台風の猛威を直で受けることになる。
マジで会社の寮が吹き飛ぶと思ったわ。





宇喜多公の潜伏地を諦め、道の駅たるみずへ。





鹿児島湾沿いにあるこの道の駅たるみずは、
鹿児島湾と桜島を一望できる。
とても壮観な景色である。





周りには飲食店の他、道の駅内にもレストラン、おみやげ屋、温泉などがあり、
施設としても充実している。







居世(こせ)神社。平野氏同様、ここら一帯は平家が落ち延びてきた場所とされる。
平家はもともと伊勢の国守の時代があり、伊勢神宮などにも信心されていたようであります。
そのような背景からこの神社をい・せ・神社としたものを、源氏ひいては鎌倉幕府にばれないように
いせ を こせ としてカモフラージュしたのかもしれないと言う。





お次は猿ヶ城温泉を目指す。
道はすいてるし、空は青いし、最高な気分。



途中の道付近にあった本城という城跡。
なんともシンプルなネーミングですな。



崖を切り開いたような跡。
明らかに人の手が加わらないとこのようにはならない。
連絡通路や防御に使ってたんだろうか。



本城近くには福寿寺という寺の跡もあった。
もともと垂水は伊地知氏の領地だったが
島津氏に逆らい、領地縮小。その後朝鮮の役で罪を犯したりして
地元を離れることになる。
その際に伊地知氏の菩提寺でもある福寿寺も焼き払われたり壊されたりしたのだろうか?
いずれにしても、城跡はよくあるにしても寺跡というのは珍しい。
普通は罰や祟り恐れて神社や寺は手を出さないものである。
謎が残る。

画像は伊地知氏の石塔群



本城跡や福寿寺跡近くにあったシラス台地の採掘所。
シラス台地の地層がよくわかる。



猿ヶ城温泉のすぐ近くにある財宝グループの財宝パーク猿ヶ城。
この財宝グループというのはおもに健康飲料水を主力として発展してきた企業である。
垂水の温泉付近から採掘して得られる温泉水をミネラルウォーターとして販売している。
少しずつ経営規模が拡大していき、この財宝パークも造られた。
もはや垂水市で財宝の名を知らない人はいないだろう。雇用も経済も垂水市とは切っても切れない関係だろう。



財宝専門の自販機。ここなら他で買うより財宝の商品が少し安い。



猿ヶ城渓谷を流れる本城川。
先ほどの城跡、本城からつけられている本城川である。
とても綺麗な川。



猿ヶ城温泉。財宝パークに囲まれるように今はひっそり経営している。
財宝パークのラドン療養泉に行っても良かったが
猿ヶ城地区のラドン温泉の大元である猿ヶ城温泉を見てみたかったので
こちらを行くことにした。



温泉と言っても民家の大きさである。入り口を開けても誰もいなかった。
しばらくすると、おばあちゃんが現れ、温泉に入りたいことを伝えると
500円ですと言われ払う。奥に通されるとこれまた
昭和の香りがする脱衣場が。
まるで1960・70年代にタイムスリップしたようだ。



中は僅かに家庭の風呂より広い程度。これまた年季の入った浴場だが
とても清潔に掃除されていた。特に浴槽がここまで古いのにものすごく綺麗に維持されているのに驚いた。
うーむ。これはすごい。



ラドンと言うのはラジウムが崩壊してできたものである。
そのラジウムは元はウランであることを考えると
被爆したってことになる。
めちゃくちゃ吸い込みました、私(汗)。
体に蓄積されないと言うことですが、どうなることやら。
ちなみに効能は神経痛や胃腸の疾患、皮膚疾患やリューマチ、心臓、通風などいろんな疾病に効能があるといわれております。

心配だったが、
温泉入浴後、仕事で手足が麻痺していた箇所が軽減し体が妙に軽くなったのを覚えています。
確かに、普通の温泉より疲労が取れる具合が大きいように思えますね。



猿ヶ城温泉を後にし、あとは垂水市をぶらぶらドライブ。
近くに新城様の墓があるというので行ってみる事に。

新城様って誰?




新城様の墓。
新城様というのは、戦国大名、島津義久の次女であるお方だそうな。
鹿児島の絶対君主の娘だから超お姫様である。
領民からも慕われていたそうな。




岩下観音。崖のような大岩をくり貫いて置かれてある。
名前の通り、岩下家が代々管理しているらしい。
この岩下家も、宇喜多秀家公を匿った平野家同様、
平家の末裔だということ。

ちなみにこの岩下観音のある場所は浦川内という地区。
また、近くには段という地区もある。
いずれも壇ノ浦の戦いから取った地名らしい。
よほど、落ち延びてきた平家の先祖は悔しかったに違いない。



垂水市中心部に戻って垂水フェリー乗り場。
鹿児島市にこれで行ける。
(垂水から桜島へは陸路で繋がっているのでフェリーの便はありません)




林城。垂水島津家の居城だった。
今は、小学校となっているが、お長屋という建物は残っており当時を偲ばせる。



垂水市街地の様子。



今旅のベストショット。県道71号線から本城地区方面を望む。
田畑から出る野焚きがまるで雲のように見えて美しく感じた。



青空と満月。



高峠つつじヶ丘公園。
100万本以上のツツジが自生している。
5月くらいにはピンクや紫の絨毯の光景が見られるのであろう。


今回の旅はこれでおしまい。
垂水市は広いので結構忙しいたびになった。
だが、それ以上に青空の下、鹿児島湾と桜島、猿ヶ城渓谷といった自然、
本城や福寿寺跡、岩下観音などの歴史遺構。

平家の眠る、海と温泉の町、垂水。
1日だけじゃもったいない。興味を持った方は是非、3日でも1週間でも垂水を旅をすることをお勧めします。
では、次回もまたお会いしましょう。

鹿児島県・鹿屋市(旧・吾平町)の旅 第13回

2017-01-02 20:09:35 | 13.鹿児島県・鹿屋市(旧・吾平町)の旅

今回の旅は姶良市(あいらし)ではなく吾平町(あいらちょう)です。

旧・吾平町を含む鹿屋市周辺は姶良と呼ばれていたそうです。

つまり、姶良市よりも吾平町の方が姶良を名乗る正当な権利があるのにもかかわらず

霧島市のお隣に姶良市を名乗られ、更には吾平町というように

名前まで変更してしまったという悲しい?過去があります。



実際に鹿屋市には大姶良という地域名もまだ残っていますので

やはり、吾平こそ姶良を名乗るべきなのですが

それは置いておきましょう。





旧・吾平町に向かう途中だが、通り道から近いため最初に寄った。



鹿屋市・川東町にある掩体壕(えんたいごう)跡。

この掩体壕は航空機などを空襲などから守るために設置されたものである。

実際に残っているのはこの壕だけで貴重な遺跡である。



ゼロ戦(零式艦上戦闘機)を主に格納していたらしい。





触ってみたが、コンクリートで出来ているため頑丈。

今思うと、70年前以上の世界でもこんな頑丈な人工物でも

破壊できる力が人類にはあったのだと思うと

今を生きるのは余計に恐ろしく思う。



コンクリートですら壊してしまう、爆弾やミサイル。

人間の体などいかに脆いものかを感じざるにはいられない。





県道68号線。

まずは吾平町の中心区域へと向かう。





鵜戸(うど)神社。吾平町中心地域にあり、

ちょうど隣に吾平町支所がある。





鵜戸神社周辺の道路。

すぐ近くに市役所支所とスーパーがあり、まさに吾平町中心地域である。





鹿屋市・吾平町支所。

誰かの銅像がある。格好からして奈良時代以前の人である。





吾平町商店街。

人の気配はそんなに無いが、営業してる店は思ったよりは多そうだ。





県道544号線。この道の途中に吾平山上陵の入り口がある。





吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ と読みます)。

敷地内を流れる姶良川。

この姶良は姶良市の姶良と同じ漢字であるように、

吾平町こそ、正統派姶良なのである。

(姶良市をディスってるわけではありません。)





姶良川はとてもきれい。

こんな透明度の高い川にいるのは何と鯉である。

鯉といえば、濁った川とか池にいるイメージだっただけに

少し衝撃を受けた。





人懐っこい鯉達。

近寄ると見る見る集まってきた。





この吾平山上陵は

初代天皇である神武天皇のお父上、お母上の陵とされている。



画像は山陵内の一風景。

幻想的な雰囲気を感じた。





本日最高のベストショット。

映画やドラマのワンシーンにもでてきそうな素晴らしい風景。

日本人で良かったと思えた場所。





美しい景色は続く。間違いなくパワースポットである。





かなり歩くと、

小石が敷き詰められた整然とした道が現れる。



一本杉(杉なのかは私にはわからん)が特徴的である。





この鳥居の向こうが吾平山上陵(ウガヤフキアエズとタマヨリビメの陵)となる。

立ち入り禁止区域となっている。






吾平山上陵を出て、

県道544号線や県道561号線、県道68号線などを

適当にドライブ。



画像は旧・吾平町で一番標高の高い山である中岳(吾平富士とも呼ばれる。)





県道68号線を錦江町方面に走らせていた途中で見つかった

崖に書かれた南無阿弥陀仏の文字。

お分かりいただけたであろうか?





いったい何でこんな場所に

誰がいつ何のために・・・

この場所は崖で下には苫野川が流れている。

石に文字を刻む作業するにもかなり困難を極める場所だ。





湯遊ランドあいら。

毎度おなじみ今回の旅の温泉施設である。

鹿児島の他施設と同じく大人310円である。





施設内にはレストラン・「ゆうゆう」もある。

画像はランチメニューであるしょうが焼き定食。650円だったかな?

普通にうまい。




こうして吾平町の旅は終わったのだった。


大崎町、東串良町、肝付町(旧・高山町)、そして旧・吾平町。

おそらく、この4つの地域は古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけ

当時の日本においてものすごく栄えてた場所だったのではないだろうか。



数々の古墳や皇族ゆかりの地などがあちらこちらにある。

古い歴史ある由緒ある土地だったのだろう。


鹿児島県・鹿屋市(旧・輝北町)の旅 第12回

2017-01-01 17:49:49 | 12.鹿児島県・鹿屋市(旧・輝北町)の旅

こんにちはトルニンです。
第12回目は鹿屋市の旧・輝北町を旅します。





星空日本一という町らしいですが、

昼の旅のうえに、雨天。

晴天予報であれば夜明け前もしくは夜間のスケジュールも検討しましたが・・・



画像は県道64号線。道の駅・野方あらさの方面から来ています。





県道64号線からの農風景。

特に目立ったものはなく、典型的な田舎という感じです。





輝北町 中心地域である、百引交差点。

百引とかいて「もびき」と読みます。

ひゃくひき とか ももひき と読んでしまう方も多いはず。

地名って本当に地元の人じゃないとわかんないよな~





鹿屋市輝北支所。輝北町役場が合併により名前が変わっただけのこと。

近くには、公衆トイレや半スーパー半コンビニがある。





市役所の裏側にある山を車で登っていくと

こんな看板が。城跡である。西原城址というらしい。

主に輝北は図師家が支配していた土地とのこと。





しかし西原城址は公園化されていて遺構がよくわからなかった。





公園の一段下の場所。

公園が本丸や二の丸だとすると、画像に移っているのは土塁ということになる。





西原城址を後にし、上百引~市成地区付近を適当に車を走らせる。

が、特にめぼしいものはなく、農風景がひたすら広がる。





再び、農風景。本当に何もない。





県道517号線。





輝北中学校。

塀が武家屋敷風味である。

何か伝統や歴史でもあるのだろうか?





県道72号線。





輝北ダム。

旧・輝北町(鹿屋市)、大崎町、旧・有明町(志布志市)の

畑かん農業用水などで利用されている。


釣りやキャンプは禁止。





輝北ダム建設のために立ち退きにあった家。

当時のままで保存されている。





加世田ヶ城跡入り口。

肝付氏の支城と伝わる。





加世田ヶ城外観。

かなりの要害であることがわかる。





堀や土塁がしっかりと残っている貴重な山城で、

ここまで状態が良いのは珍しいのではないか。





井戸跡と思われる場所。





本丸と思われる場所。

ここで城主様は政務を執られたのあろう。





本丸よりも更に高い位置にある土塁の上。

おそらくここが城主様の寝場所であろう。


肝付宝塔とされる石造物がある。





輝北ふれあいセンター。

ここでは温泉に入れる。

大人310円。九州は温泉が安い。素晴らしい!





ふれあいセンターで温泉に浸かり、

寒さと疲れを癒した後、施設内にある無料のマッサージチェアに。

人がほとんどいないので貸しきり状態。最高です。





輝北ふれあいセンター近くにある諏訪神社。

昔からある巨木が何本かある。





諏訪神社の横の道路にあった謎の骨。

何かの鳥の頭であろうか?





国道504号線を北上。目指すは輝北天球館。

途中その道端には複数のイルミネーションが。

夜になれば周りに何も無いので

さぞかし明るい綺麗なスポットになるだろう。





レストラン アラジン。

国道504号線沿いにある。

普段はこういったレストランとかはお一人様ですし絶対に行くことはないが、

周りに飯屋がなく、たまたまお客が誰もいなかったので寄る事にした。





レストラン内はとても洋風とカリブ又は東南アジアが混ざったような感じ。

おしゃれな場所はかえって落ち着かないトルニンです。

小汚いラーメン屋とか定食屋みたいな場所が好きな人間ですので。





松定食?というメニューだったろうか。

1品1品、丁寧に作られていて本当に美味しい。

特にお勧めは1個しかないがから揚げ(もしくは竜田揚げ?)。

生姜醤油のような旨みが浸みた絶品でした。





登見ノ丘公園。(ドウゲンの丘と読むらしい)

土岐氏の墓などがあった。





登見の丘公園から見た景色。

国道504号線沿いの町並みが見える。





輝北天球館に到着。

が、ご覧の通り、濃霧にさらされております。

来た意味ねえ~





輝北天球館を後にし、再び国道504号線に

道沿いに揚げもち屋を発見。


本当に餅を揚げただけで特に特徴があるわけではない。

でも、店の人とは地元話で多少盛り上がった。





砂糖醤油味の揚げ餅。2個入れで300円。

おばあちゃんがおやつで作ってくれそうな懐かしい味。





県道516号線に移り、

途中、朝倉の隠れ念仏洞穴と書かれた案内板を見つけたので

移動し、そこから更に画像の小道を歩く。


寒くて、暗くて、何よりも薄気味悪い。





朝倉の隠れ念仏洞穴。

なぜ隠れがついてるかというと、

江戸時代、薩摩、大隅は島津藩の支配地であった。

島津藩では一向宗は禁止されていた。

そのため、一向宗徒は島津藩に隠れながらこの場所で信仰をしていたようである。




今回の旅はこれで終了。

雨や霧でいささか気分は乗らなかったが

温泉や美味しい食事にありつけただけでも良かったと思う。

というか、旅はこれさえあれば最低限楽しいものとなるだろう。


トルニンが選ぶ・肝付町(旧・高山町)のご当地品

2017-01-01 06:20:04 | 11.鹿児島県・肝付町(旧・高山町)の旅
カフェオレマグ 一反もめん
妖怪舎


高山町で作られたものではないですが
ゲゲゲの鬼太郎で有名な一反もめんは実は高山町出身の妖怪だそうです。
どうしてそんな設定になったのかはわかりませんが
何かしらの言い伝えや根拠があるのでしょう。

そんな高山町生まれの一反もめんのマグカップ。
朝のコーヒー、お茶の入れ物に
もしくはお部屋のインテリア雑貨にどうでしょう?