活動報告第2段です。 熱が冷めないうちに書いてしまいます。
現場へはクルマでだいたい20分~30分の範囲内で到着します。
途中、車中から見える光景は1ヶ月以上経った今でも衝撃的で、仙台空港付近を通った時などは原型をとどめないおびただしいクルマの山積み。 セスナ機の残骸。 激しく折れ曲がってくねってしまったガードレールや標識が道路沿いに続き、広大な田畑は海水を含んだヘドロが表面を覆い乾いて地割れしています。
所々自衛隊の車両が行く手を阻み、この先通行止めの合図を出していました。
ボランティアの皆は(僕達も)そんな光景を現場に着くまで無言で眺めていました。 不謹慎ではあるけれど、これから大変な現場へ向かうであろう兵士のような緊張感が漂う車中でした。
作業は実労2時間と決められていました。途中10分~15分の休憩をリーダーの合図でとります。
作業の内容は敷地内や家屋内に散乱している瓦礫やヘドロの撤去です。 重く固まったヘドロをスコップで掻き出し一輪車に乗せて道路脇の決められた場所に捨てる。この作業の繰り返しを延々と続けます。 瓦礫やヘドロは水を含んで重く、足場も悪いため危険で辛い労働でした。 実際怪我をしたボランティアも多く居たそうです。
でも皆黙々と作業を進めていました。
現場での写真がないのが残念ですがとても撮る心境にはなれません。
時折強い風が吹き、地面を巻き上げ粉塵が舞い上がります。 一瞬目の前が真っ白になります。 この粉塵がニュースで最近言われている有害なものと知りつつもゴーグルとマスクでの労働は熱く、息苦しく、体力を消耗していくので何度もはずしてしまいます。
休憩の合図が入ります。 その場にめいめい座り込みつかの間の休息。 Aさんは神戸から神戸震災の時に東北のボランティアに助けてもらった恩返しに。 Bさんは名古屋からマイカーで、Cさんは福岡からレンタカーで、Dさんは東京から夜行バスでと全国から想いひとつで飛んできたそうです。
皆汗を拭きながらポツポツと恥ずかしそうに話す男達。 優しそうないい顔ばかりでした。
作業が終りセンターに帰るとスタッフが長靴を洗浄してくれます。
午後からテント村に帰って昼飯を食べていると緊急要請が入ります。 支援物資の移動の手伝いをしてほしいとの事で、20名ほどが召集され倉庫に向かいます。
全国から送られてきた沢山の保存食や生活必需品、消耗品の梱包を別の倉庫に移動する作業です。 ダンボール箱には「頑張ってください」とか「応援しています」などのメッセージが手書きで添えてありました。 物資は余剰気味のような気がしました。
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