皆さん、こんにちは、新三年の菅原です。こーるみーすがゆー。桜は保健学科A棟の裏のもの。
新入生の皆さんご入学おめでとうございます。圧倒的な劣等生だった僕は受験勉強めちゃくちゃ苦労しました。いまだに予備校の近くの通りを通ると吐き気に似た気持ち悪さを感じます。
そんな受験勉強を乗り越えて、入学した皆さんはすごいです。やり遂げましたね。でもこれを人生のピークにしたくはないですよね。入学してから緊張感もなく、新しい刺激もあんまりない4年間を過ごすのは、嫌ですよね。刺激を求めて何かに打ちこむことが大切であると感じます。
人間は新しさを感じなくなったら時の流れが早くなると聞きます。10歳から20歳の10年間は人生で最も長く感じる10年という人もいますね。これは新しい刺激に溢れているからです。
大学に入って刺激のない日々を過ごすのは、勿体無いのです。人生の夏休み”大学生”を満喫するためには何かに打ち込むことを是非是非お勧めいたします。
あくまで僕の一例をご紹介します。僕がどうやって格闘技という底なし刺激沼に足を踏み入れることになったのか。刺激に溢れた生活を送れている僕の話、いや、俺の俺の俺の話を聞けぇー♪(タイガー&ドラゴン)
クレイジーケンバンド / タイガー&ドラゴン
遡ること20年弱。
僕が物心ついてまもないくらいに我が家にコンピュータがやってきました。そして、謎に親父はガキんちょだった僕にもパソコンを触らせてくれました。
僕が親だったら2,3歳の子供にパソコンなんて触らせたくないけどなあ。その点親父には感謝しております。
そこから僕はコンピュータが大好きになります。小学校高学年には一日中インターネットサーフィンをするなんて日々もありました。
当時YouTubeが発展途中だったこと、Javaやフラッシュのコンテンツが煮立ち切った感がありまして、インターネットが遊びとして、確立してきた時期だったと思います。(僕が世間知らずなだけかも)
そうして、さまざまな動画編集や画像の加工などパソコンのスキルを身につけながらも、インターネット中毒者的になっていたと思います。一日10時間以上パソコンの前に座ってたこともあります。意味わからん。
また、そんな小太りインターネット大好き少年はスポーツも上手いわけでも、足が速いわけでもなく、ゲーマー集団と連んでおりました。
僕は決して友達に強く発言できるタイプではなかったので、友達から叩かれたり、蹴られたりしてました。(なんやねん、あの小学校)小3、4は学校が嫌いでした。
しかし、そこで一度くらい思いっきりやり返してみようと思い、アクション映画はいっぱい見ていたので、自分をジャッキーチェンだと思って思いきりやり返してみたら意外と勝てまして、そこから僕はある程度自分に自信がつき、パソコンから少しずつ離れ、学校が好きになりました。
しかし、小学生っていうものは割とすぐケンカになりますよね。僕もせっかく学校が好きになりつつあったので、ボコボコに負けてもう一度成り下がるわけにはいかんと思い、ひたすらにプロレス技を覚えまくりました。
なんでプロレス技を覚え始めたのかはわかりませんが、当時僕はYouTubeしか動画共有サイトを知らなかったし、YouTubeにはなぜかアクション映画とプロレスの動画がいっぱいあったんですよね。トニー・ジャーとかも見て、ムエタイも好きになりましたね。友達とたくさんプロレスごっこしました。ここが僕の原点なのかもしれません。
そうして、僕はプロレスに救われ、プロレスを追いかけるようになります。中学生の時は毎日プロレスを見てましたし、佐山タイガーマスク、三沢光晴、橋本真也、中邑真輔あたりが大好きでしたね。
初代タイガーマスク 必殺技紹介
↑何度もこの動画再UPされてますが、この必殺技紹介をめちゃくちゃ見てました。僕は佐山聡になりたかったんだ!
その後、新日本プロレスの追っかけをするようになり、中邑真輔には多くの刺激をもらいました。
WRESTLEKINGDOM9 NAKAMURAvsIBUSHI PV
↑とにかく中邑真輔に憧れていましたね。僕も中学校の廊下でよく中邑の入場の真似してました。中邑を見て僕は中学校卒業後はプロレスラーになろうと密かに思っていました。
この頃からMMAを見始めましたね。桜庭和志と青木真也を中心にPRIDE、DREAMをめちゃめちゃ見てましたね。僕も榊原信行&佐藤大輔チルドレンなわけです。
Shinya Aoki vs. Tatsuya Kawajiri PV - DREAM.15
↑この煽りVなんて多分4000回は見た。勉強中に聴いてました。
Shinya Aoki vs Satoru Kitaoka
↑青木北岡も聴いてました。勉強中にチョークからエスケープした北岡さんの荒い呼吸を聴いてました。それで数学解いてました。「感慨はないです、一つの試合なので」
そうして時は流れ、僕が中3で受験シーズンくらいで中邑真輔が新日本プロレス退団、RIZIN発足で、僕は徐々にプロレスからより刺激を求め、MMAに移っていったわけです。
高校でMMAデビューしました。僕は割と初めから打撃よりかはグラウンドの方が得意だったので、グラウンドが強い師匠を師事しました。
取っ組み合い。これより楽しいことは多分世の中にないでしょう。これを超える気持ちいいものは多分法に触れます。合法でこれより気持ちいいことはないと勝手に思っています。
練習をするとおそらく身体中の水分が入れ替わるんじゃないかっていうくらい汗をかきますし、自分の技が決まって、相手から参ったを取った時のフィニッシュは病みつきになると思います。
こうして僕はインターネット中毒者から格闘技中毒者への変化したわけです。
僕は高校卒業後の進路を非常に悩んでいました。僕には格闘技を続ける以外の目標がほぼなかったので。
僕は関東に行って大手のMMAジムに入会するor地元に残って格闘技を続けるの2択でした。
しかし!当時仙台は格闘技が全然盛んじゃなかったのです!!
今は柔術ジムが増えるなど、多少格闘技をやる場所は増えましたが、当時地元でより強くなるための練習ができる場所は東北大学柔道部くらいしかなかったのです。
そうして、勉強などほったらかしにしてきた僕は夢の格闘技に塗れた生活のために受験勉強を頑張り、今があるわけです。
僕は柔道自体は中学校の授業でしかやったことないし、柔道にルーツがあるわけでもありませんし、柔道の細かいことはいまだによくわかりません。
それでも毎日の練習が楽しくて仕方ないですし、いつでもどこでも格闘技のことを考えています。これより楽しいことを見つけられないのです。
ま、ここまで自分語りをしてきましたが、新入生の皆さんに伝えたいことはズバリ
折角の大学生活をお金と時間を売って買ったのだから、何かに情熱を注いでほしいということです。
別にそれが柔道部でなくても僕はいいと思います。(新歓係ごめんなさい)
ただ、僕たちはその情熱の先に柔道部を見据えてくれたあなたにはできる限りの歓迎を施しますし、悪いようにはしません。僕の知っている格闘技術を全て教えることも厭わないです。
別にどんな人にも教えますけどね。格闘技術を僕は繁栄させて、廃れさせたくないという思いはあるので!
何かに情熱を捧げる大学生活を歩めることを心より願っています。”楽しくてたまらないこと”、見つけようぜ!
長々と失礼しました。桜が咲いて美しい仙台をバイクで走ることにハマっております。信号待ちでNに入れて、”クラッチ”を離して、「クラッチ」の組み方を研究してたらそれはきっと僕です!
柔道部に興味がある方がいれば、連絡くださいませ。男女年齢全く問いません。東北大学の門戸開放を柔道部はしっかり守ります!
それではこの辺で。ごきげんよう。