何やら考えなくなって来たそうだ。
そう人間が全般的に。
データ等にすぐ頼れるからだそうで、
例えばどうやって速い球を投げようかと思った時に、
体の使い方、
球の回転数、リリースポイント、
必要な筋力などなど、
分析結果に沿って練習するようになって来ており、
なんでなんだろう?
どうやっているんだろう?は無くなり、
試行錯誤しなくなっているのだそう。
何でも調べられる今の時代なので当たり前なのかもしれないのだが、
しかしそれは、
例えればゲームとゲームの攻略本を
同時に手にしている様なもの。
ゲームの醍醐味は
“なんとかして”
クリアーしていく事にあると思われるが、
一度攻略本を見てしまうと、
ずっと攻略本を片手に
永遠と決められた作業を繰り返す事になる。
ゲームをして、攻略本を手にしたことのある誰しもに心当たりがある筈。
ただの作業ロボットとなって
操られる自分は、
指示通り動かすだけで
もうあの時の様に
そのゲームにときめいたりワクワクしていない。
ゲーム以外の全てにあてはまる事で、
作業化した瞬間に、楽しくなくなるのだ
モチロンそれは
コンピューターの発展と共にある時代の、当然の流れであるのだけれど、
元々知識に沿って喋っているだけで、
その人自身は全くたいして考えてもいない、
それらしく話していた人は今までの時代も山程いた訳で。
形を変えただけで
本質は変わっていないのかもしれない
詰め込んだ知識を披露するだけの人は、
その通り知識の豊富な人であり、
素晴らしい考えを巡らせる事の出来る
頭脳明晰な人とは違う。
今後は益々、
そのある部分を無駄と思う人は
機械化された効率のいい人生を歩み、
無駄と思いがちな部分に、
人で在るがゆえの思考や楽しみを見い出して行く人とは、
大きな違いが生まれていきそうだ。
それまた少し形を変えたたけで、
昔からあった相反する価値観であるので、
まあそんなにコンピューターでとか、
時代が、とかあるにせよ、
取り立てて大騒ぎする程の事ではないのかなと思う。
じゃあ、、
この長ーい文章
何じゃったんじゃーーいっ!!
……
よし!
考えないでおこう