今回はドドンパ娘、渡辺まり の登場です。
彼女は1961年に「東京ドドンパ娘」を吹き込み、レコードは100万枚にも及ぶ売り上げを記録、ドドンパ流行の先駆けと成った。
さて今日のタイトルにある、アイ・ジョージとの関連は?
大阪のナイトクラブ「クラブアロー」のの専属歌手だった1959年に、来日した「トリオトリオ・ロス・パンチョス」の日本公演で前座歌手を務めた彼の名は日本中に広く知れ渡った。
その頃京都のフィリッピン人バンドの演奏する風変わりなビートのマンボにヒントを得た、クラブ専属北野タダシとアロージャズオーケストラのメンバーが計画、流行させたそうだ。
二拍目のアクセントを強く、三拍目を三連音符に換えた此のスタイル。
ドドンパと命名したのはアイ・ジョージだそうだ。
彼はドドンパの生みの親の一人だ。
私は当時人気絶頂だったフランク永井専属バンド浜田清と
Frank`s 9 に在籍していて、「フランク永井ショー」でクラブアローに出たことがある。
風格のあるさすがは大阪一のクラブだ。
渡辺マリさんとの写真は、フランク永井の地方巡業で、四国に一緒した時のものだ。
1960年代に大流行したドドンパブームはそう長くは続かず次第に忘れられていった。
何故か、ごく最近「きよしのドドンパ」が出ている。
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