これは、昭和11年生まれの私の母です
多分22、3歳くらいです。大分の別府の海岸かな?
別府は九州で、田舎ですが戦争が終わって
進駐軍がたくさん居たために
ファッションは東京よりも??
おしゃれだったと母から聞きました。
洋服は雑誌を見て作ってもらっていた
そうです。
きれいな母で、父兄参観にきて
くれるのが嬉しかったです
やさしくて、きれいな自慢の母です
今は、おばあちゃんですが
父の写真(左側)です。
母を載せたので父も載せます
別府の地獄の所だと思います
父は大正15年生まれで、母と10歳違いです。
とっても厳しい・・というか、うるさい父
でした。。
若い頃は炭鉱で働き、炭鉱が閉山になってからは
劇場→映画館と、事業をしていましたが
映画館はテレビで立ちゆかなくなり、
自分も50歳前に胃癌になり、無理が
出来なくなったために色々な
事をやってお金を稼いでいました
いま、私はその父の後を継いで?
仕事をしています。
職場に座ってると、古いお客さんが
「あんた、お父さんにそっくりやね」
ってたまにいわれます
そしてひどい?時には「お母さんに
似ればよかったのにねぇ」って
言われたりします
仕方ないやん。。自分でも
母を載せたので父も載せます
別府の地獄の所だと思います
父は大正15年生まれで、母と10歳違いです。
とっても厳しい・・というか、うるさい父
でした。。
若い頃は炭鉱で働き、炭鉱が閉山になってからは
劇場→映画館と、事業をしていましたが
映画館はテレビで立ちゆかなくなり、
自分も50歳前に胃癌になり、無理が
出来なくなったために色々な
事をやってお金を稼いでいました
いま、私はその父の後を継いで?
仕事をしています。
職場に座ってると、古いお客さんが
「あんた、お父さんにそっくりやね」
ってたまにいわれます
そしてひどい?時には「お母さんに
似ればよかったのにねぇ」って
言われたりします
仕方ないやん。。自分でも
そっちの方が良かったのに