空飛ぶベッド友の会

心の友の会話

ちゃぶ台とししとう

2013-07-22 13:44:21 | 日記
ジリジリと音がするのではないかと思うくらい、きょうは、暑い日。熱い!と火傷しそう。おまけに、明日は厚い壁を乗り越えなければならない、厳しい仕事がまっている。胃が痛む。
緊張が皮膚になってしまったように思える毎日。お肌の張りはなくなる一方なのに、神経はピーンと張りつめ、仕事のことを考え始めると、心は張り裂けそうにかきむしられる。なぜだかわからないけれど、突然、ししとうを食べたくなった。人恋しいような、懐かしい心持ちで野菜コーナーに急いだ。緊張を緩和するために、わたしが小さかったとき、父や祖父が、暑い夏の夕げに、ししとうの油炒めや、冷奴をおろし生姜で食べていたことを、脳が思い出したのだろうか。庶民中の庶民のわが家の食卓が、貧相であったと告白しているのではない。両親や祖父母、まだ赤ん坊だった弟もいた頃。贅沢ができる暮らしではなかったけれど、懸命に働き、一日の終わりの食事を家族で囲める、温かさと安堵がちゃぶ台には満ちていた。クーラーなどない時代、母や祖母が、金魚や、朝顔のちぎり絵ふうの絵柄のうちわをあおいで、かぜをおくってくれていた。その時、わたしがししとうを食べたという記憶はない。ただ、家族の養い手の父の食卓に、炒めたししとうがのせられていたことが、わたし
には-今風にいうと-癒されるのだ。理不尽なめにあっても、弱音を吐かず、ひがまず、精一杯身の丈を伸ばして家族のために働く、気概と分別をししとうはわたしに物語ってくれるのだ。
祖父母も母も弟も、すでに逝ってしまった。天国の食卓には祖父の好物の脂身や、海老好きの弟の喜ぶメニューがのっているのだろうか。
ししとうを炒めながら、この世という溶鉱炉で精錬されたら、篤い人間になれるのだろうか。と、問いかけてみた。

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1 コメント

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懐かしい。 (ケイ)
2013-07-25 11:04:25
昔、小さなちゃぶ台がウチにもありました。
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