すっかりご無沙汰しているけど、相変わらず色々事件が起こっています。
福祉車両
自分が初めて福祉車両と呼ばれる車を見たのは去年の8月だった。
家内が自分の勤務先の病院からリハビリ病院に転院するときに乗った介護タクシーである。
それまでどんな車か知らなかったのだが、病院の玄関まで家内を車椅子に乗せて連れて行くと、トヨタハイエースが止まっていた。車の後部のトランクが開いていて、そこから台車のような物が地面に降りていた。
家内の乗った車椅子を、その台車の上に押して乗せると、運転手がスイッチを入れた。すると、台車が車椅子ごとウェーンとモーター音を響かせながら後部の荷物スペースに入っていった。
初めて見たその光景に驚いた。だけど、自分には縁がないだろうと思っていた。
その後、去年の12月に家内が家に戻ってくるときは、息子と2人でアクア(我が家の小さな乗用車)の後部座席に家内を押し込んで移動した。
その時は余命後1ヵ月とか言われていたし、もう車椅子で家の外に出ることはないだろう・・・このまま天国に行くのだろうなあ、思っていた。
日曜礼拝
それから、どんどん家内が元気になった。
本人の意識もしっかりしてきたので、キリスト教の教会に日曜礼拝に行くことにした。
葬式はキリスト教で、という本人の希望があり、家内には内緒だけど牧師さんの承諾を得ていたので、教会に連れていきたかった。
ただし、頭ははっきりしてきたのだが、癌の脊髄転移で放射線照射を受けている影響で足は全く動かない。
それで日曜日の朝、家内を車に乗せたり降ろしたりする度に息子と2人ですごく苦労している。
アクアの狭い後部座席に家内を座らせる時に、車のフレームに頭をぶつけてしまったり、自分がしっかりと身体を抱きあげて抱えていても「もう、ダメ」と言って力が抜けて身体を落としそうになったりしたのだ。
自分はダンベルだと片手で50キロを挙げることが出来る。しかし、生身の人間の50キロは重心が動くので、そんなに簡単に重さをコントロールできない。自分に対してガッカリしているのだが、年老いても筋トレをするモチベーションが上がったことに感謝している。
福祉車両が欲しい
そんなわけで3月の初め頃、真剣に考えた。
家内は今は元気でもいつ急変して死ぬかもしれない。今は週に一回だけしか外に連れていけないけど、もうすぐ春がやってきて桜が満開になる。
家内が来年の桜を見ることが出来る可能性はきわめて低い。暖かくなってきたら車椅子で外に連れて行ってやりたい。
それで車椅子ごと積み込める車を買おうという結論になったのだ。
自分達も気楽にその車であちこちに連れて行ってやれるし満開の桜を楽しませたら緑のまぶしい季節には毎日でも公園に連れて行こう。
さて、福祉車両を買うとなると、どこで何を買うかである。新車は高すぎるし納車される前に死んでしまったら悔やんでしまうことになる。
その結果、少々年式が古くても中古車を買うしか選択肢はないと思った。
中古車販売店
そう決断して3月の初めの土曜の朝、「ガリバー」という中古車販売店に行ってみた。
店長に事情を話すと会社の検索システムで探してくれた。2台ひっかかったのだが、一台は乗用車で車いすを押し上げるタイプの車だった。
もう一台は本格的な福祉車両で日産セレナである。動画サイトにアップされているので参考程度にどんなのか見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=DmYLE5RNPRw
これを読んでくれる方で参考にされる方もおられるかもしれないので値段も書いておく。
セレナは240万くらいだった。4年落ちで3万3千キロだ。
お店では、その場でアクアを査定してくれた。新車で買ってちょうど2年落ちで色々オプションをつけていたので114万だった。4か月くらい入院していたので医療保険で100万くらい給付されたので、それで買える。
だけど、納車の日までに家内が死んで車がいらなくなったらどうしよう。すると、店長は自信満々で答えてくれた。「うちは納車後、100日までは返品可能です。ただし5%料金を頂きます」。これには驚いた。10万出せばひきとってくれるらしい。
それでも、即答せずに家族と相談することにして家に帰り色々調べて買うことにした。
そして夕方、再度販売店に行って契約したのだが、その車はデータベースに載ったのが最近だったようで、その日の朝から夕方までに全国で300人ほどデータを見ていたらしい。
非常に人気が高いことがうかがわれたのでグズグズしていたらきっと売れてしまっていたことだろう。
自分が買うことを運命づけられていたような気がしてすぐ契約した。
窒息、救急搬送で入院
それから約3週間たった。この週末には納車の日がくると心待ちにしていた先週の水曜日の夕方、とんでもないことが起こった。
仕事から戻る途中、息子から電話があり「大変だ、母さんが食べ物を喉に詰まらせて窒息した・・・。救急車が来て、今、消防の人が来ている」という内容だった。
家に戻るとマンションの前に救急車が2台となぜか消防車が一台止まっている。玄関から担架で運ばれていく家内の姿が見えた。そして息子も救急車に乗ろうとしていた。
携帯で行先を聞いて、自分も着替えて病院に向かった。
それが水曜の夕方だった。午後8時ごろに救急の治療室で家内の顔を見たときは半分死人だった。
先生から説明があった。「CT画像で脳はきれいです。最悪の場合はこれが真っ白になるのです」との話だった。
家内は傷だらけの顔と身体で、時々ヒー、ヒーと苦しそうな呼吸音が聞こえてくる。
息子が家内の手を握りながら「母さん、ごめんね、ごめんね!自分が悪かった」とボロボロ涙を流していた。
それを見ていた先生が「そんなに自分を責めなくていいですよ、対応が早かったから・・」と息子を慰めてくれる。
そのまま救急外来の外で2時間くらい待った。夜の10時ごろ、病室で面会が許された。
我々は先ほどの様子からもっとひどくなっているかもしれないと思ったいたのだが、顔を見ると生気が戻っていて声をかけるとかすれ声で反応して指を動かし始めていた。
そして昨日、土曜日のお昼に見舞いに行くと家内はすっかり元気で病院のベッドで看護師さんに「嫌だ、嫌だ」と叫んでいる。
来週の初めには退院できる事になった。
掃除機
以下、息子から聞いた話である。
息子がおかずを作って家内の前に置いた。最近は食欲がすごく旺盛でいつものようにガッついてムシャムシャ食べていたようだ。
いつもなら息子はちょっと離れて座っているのだが、その日に限ってなぜか家内の正面に座りリンゴをかじりながら食べる様子を見ていたという。
すると、突然、家内の動きがピタッと止まり何も言わなくなったそうだ。まさか窒息?と思いながらも「大丈夫?」と声をかけて水を飲まそうとしたが、どんどん顔が紫色になっていったという。
恐怖で頭が真っ白になりながらも背中にまわりお腹を両手で押さえたりしたが、どんどん酷くなっていった。
それからはあまり覚えていないと言うが、車椅子から降ろして床の上に寝かして背中をたたいたりして考えられるあらゆる事をしたと言っていた。
ヘルパーさんが毎日掃除機をかけてくれるので、掃除機がすぐそばに置いてあったのが
幸いしたようだ。
掃除機のスイッチをいれて口から吸引しようとしたそうだ。口を大きく開けようとしたが、ガチガチに力が入っていて、口が開かなかったらしい。
それでも吸引機のホースを口の上に強く押しあてて「強」で30秒ほど吸引したという。
すると、かすかな音でシューとかいう音が2回ほど聞こえたと言っていた。
たぶん、それが良かったのだろうと自分は思っている。
息子は救急隊を呼ぶことに慣れている。パニックになりながら自分で電話したら対応が遅れると思いマンションの管理人さんにインターフォンで救急に電話してもらったそうだ。
救急隊を呼んだ時間帯も良かったのだろう。10分くらいで救急隊員がやってきた。「窒息した」というキーワードでドクターカーで医師もやってきてくれたそうだ。いつもなら数人の救急隊員がその時は10人くらいいて、「取れた」という声が聞こえたとも言っていた。
病院で先生の話では「鶏肉が気管にスッポリとはさまっていた」そうだ。想像だが、掃除機の吸引でピンポン玉のように気管をふさいでいた肉の塊が、ちょっとずれたのだろう、それで空気が通って助かったのかもしれないという事のようだ。
2日後、自分の勤務先で救急の先生に聞いたのだが、必ずしも掃除機がうまく働くわけではないそうで、吸い込んだ途端、違うところにはまってしまって致死的になることもあるらしい。やはりベストは背中を強く圧迫することだという話だった。
だけど、今回、家内は九死に一生を得たのである。
あれから、3日たった。昨日の午後、福祉車両の納品の日だった。
アクアと違って大きい。加速も遅くて運転すること自体は気軽ではない。しかし気軽に車椅子のまま家内を車であちこち連れていける。入院中の家内は、退院の時、この車で家に帰ることが出来る。
息子が「母さんが窒息したとき、無我夢中だったのであまりよく覚えていないのだけど、それでも、せっかく新しい車が来てあちこち行けるのに、ここで死なないで欲しい」とばかり考えていたそうだ。きっと息子の思いが天に通じたのだろう。
もうすぐ、この車で家内を乗せてドライブできると思うと息子ともどもワクワクしている。