自然と対話する
5年前の今頃、自分は北海道の離島に住んでいた。離島の暮らしは2年半だけだったが、真冬は3回経験した。
離島は日本海側なので雪は結構降った。真冬のある朝、ねぼけた眼で窓の外を見るとドカンと大雪が降っていたりする。そんな朝は気合を入れて外に出て除雪をしたものだ。
最初の冬は結構大変だったが慣れてくると雪に閉ざされる生活はそれなりに楽しかった。ドカ雪が続くとうんざりする事もあったが、いつの間にか雪に対しては雪の降らない地域の人にわからない独特の思いが湧いていた。
実は雪だけではなく強風や嵐など離島で感じた自然の脅威は、自分のちっぽけな悩みをふっとばし、自然と対話しながら生命を実感するという、生きていく上の原点をいつも感じて生きていた。
自分の内に秘めたそんな思いが綴られている詩を紹介しているエッセイを新聞で見つけた。今日はそれを紹介します。
詩の橋を渡って 和合亮一(詩人) 短い生に衝き動かされ 2017年1月24日毎日新聞 夕刊より
内容の一部を引用しています。全文はネットで閲覧できるのでサイトをご覧ください。
http://mainichi.jp/articles/20170124/dde/018/040/010000c
引用開始
矢沢宰(おさむ)詩集 「光る砂漠」 思潮社と出会う。病苦と闘いながらたった21年の生涯のうちにたくさんの詩を残している。没後50年になる。14歳の10月から詩作をし500編余の詩を遺して世を去ったという。人生の時間の多くを病院で過ごしている。
「雪が降ると家が恋しい
雪が降ると楽しくなってくる
雪は人間の心を埋もれさす
雪は元気と勇気を与える
雪が降ると今年も行ってしまうかと思う
雪が降ると遠い昔を想い出す」
新年の街の空に舞う雪のかけらを眺めながら、この詩をふと呟いてみる。大いなる自然からのメッセージのようなものと言葉はなくとも対話しようとしている詩人の姿が浮かんできた。
ここまでの感想
詩からは都会の人にはわからない雪に対するさまざまな思いを感じることが出来ると思う。
早速詩集を買って読んでみた。50年前に21歳で亡くなった詩人は新潟の人で本格的な豪雪地帯の人だったようだ。
病気はもちろん結核である。若いころに何年も病院から出ることが出来なかったらしい。だから毎日雪を見るのは病室からなのだろう。
自分も離島の診療所勤務であり自分以外には医者がいないので、どこに行くわけにもいかなかった。詩人と同じような境遇だったかもしれない。ただ、自分には死という終着点の代わりにいつかは島を出る事が出来るという点が根本的に違う。
島に住んでいる時、自分はうつ状態にならないように、どうすればストレスを解消できるか考えていた。
そこで毎日、雄大な大自然の中へ自転車を走らせたり歩いたりして、自然のうつろいを身体で感じるようにした。広大な牧草地の夕方の光景、灯台のそばの潮風など、刻々と変化する自然を今も体感で思い出す。
特に、雪が降った日に外へ出て歩くのが好きだった。降り積もった真っ白な雪をキュッツキュツと足を踏み出して歩いて行くと自分の足跡だけが雪の上に残っていく。
長靴の底で感じる雪の感触も体感として覚えている。
さて、このコラムでは、これとは別に2つの詩を引用している。
一つは死に直面している思いをつづったシリアスな詩で、これも紹介したいのだが内容が重いので止めておくことにした。
その代わり、心が明るくなるような春の季節を唄ったもう一つの詩を紹介する。
引用開始
(詩集を)読み進めるうちに生きることと詩を書くこととが分明されない重なりを見せつつ、そのまま自らの死を前にした答えのない問いかけそのものになっているように思えてくる。
詩と短くも若い生に衝き動かされている筆の運びに目頭が熱くなる。この詩人の青春がある。
「電気はつけないことにしよう
窓は開けておくことにして
春の夜の清く甘ずっぱいような香りを
部屋の中いっぱいにしよう
そして俺は
静かに神様とお話をしよう」
厳しい冬を抜けて、めぐる季節への憧れが伝わる。芽ぐむ春の情感を「香り」の中に感覚してただ静かに嗅いでいる春の夜。
新鮮な季節に素の顔で向き合っている感じがとても穏やかである。このような言葉の無い優しい対話に、春の訪れを早くも恋しく感じた。
引用終わり
まとめ
自然と対話することは静かに神様とお話することに通じるのだ。だから落ち込んだら自然の中で自然を感じることが大事だと思う。
このコラムは月1回、夕刊に掲載されている。時々、気がついたら記事を切り抜いておく。1月のこの詩集を紹介したコラムは夭折した詩人への熱い思いが伝わってきて、長々と引用させていただいた。
40年前の若き自分は、医師になって1年間の大学病院での研修を終えて、かっての結核療養所であった大きな病院に勤務していた。
自分が担当していた病棟では、結核が耐性化して退院できないまま何年も入院している患者さんが何人かいた。
治療をしているが、回復の見込みがなく悪化していくだけの患者さんは、いつも孤独で人生を達観したような独特の雰囲気があった事を思い出す。
生きることの原点を強く印象づけられた50年前の詩集を是非お勧めしたい。