短歌教室
だいぶ前、2年ほど短歌に興味をもった時期があった。
NHK教育テレビで「短歌教室」を見たのがきっかけで、しばらく毎週見て楽しんだ。
番組では、毎回、レギュラーの歌人が素人の短歌を添削するコーナーがある。
それが、とても面白かった。専門家が、歌をちょっとだけ手直しするだけで歌が見違えるように良くなる。歌人はまるで歌を作った人の心を読めるようであった。
歌人は毎回交代していて、月に一回の間隔のようだったが、その中のお一人に分子生物学会で見たことのある名前の歌人がいた。
ネットで検索するとやっぱり京都大学の生物系の教授であり、趣味で短歌をやっておられたのにはびっくりした。
永田先生という人であったが、同時に出演していた河野裕子という歌人と、ご夫婦であった事に驚いた。
後日、テレビで、ご自宅で夫婦が向かいあって、ウンウン言いながら歌を詠んでおられる風景を見たように思う。
残念ながら最近、女流歌人は亡くなられたのだが、晩年は周期的に精神に変調を来たしておられたようだ。
それで、ご主人と2人の子供さんのご家族は大変だったというところまではネットの記事で知っていた。
季刊誌の圧巻記事
「考える人 冬号」 - 圧巻は永田淳「四十年後の邂逅」。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」を遺して逝った歌人・河野裕子の息子であり歌人の永田が明かす母の病歴譚。-毎日新聞1/17より
先日、新聞の書評で上の記事を見つけた。
新潮社の季刊紙だが、ご長男さんが書いている記事が圧巻だそうだ。
早速、大きな書店に行って雑誌を買い、帰りの電車の中で一気に記事を読んだのだが、あまりの凄まじい内容にちょっと慄然としてしまった。
要約
興味のある方は原文を読まれたらいいのだが、雑誌は1440円するし、多くの方は興味が無いかもしれないので、以下内容を要約して紹介することにした。
考える人、冬号 60ページから64ページ 著者 永田淳
サブタイトル
一時精神に変調をきたした母とその母を支えていた精神科医の人生は不思議な運命の糸で結ばれていた。
以下、要約
女流歌人は10数年前に乳癌が発見され手術を受けたのだが、転移のあるリンパ節を切除した影響で左半身に慢性的な疼痛と痺れ、寒気が残ることになる。
自分も、診療所に通院していた高齢のご婦人の左手が異常に太いことに気がついた。本人から乳がんでわきの下のリンパ節を切除した結果だといわれたことがある。
リンパ節を切除されて腕のリンパ液が心臓に向けて還流しにくくなり片方の腕が手首から腕のつけ根まで膨れ上がっていたのだ。静脈が見えづらく、その腕では採血も点滴も出来なかった。
話は戻る。女流歌人の場合それが原因だったのだろうか。
術後1年くらいしてから、ご主人や当時同居していた妹さんに対して聞くに堪えないような罵詈雑言を浴びせる発作的な爆発を、定期的に繰り返すようになったそうだ。
以下、原文のまま
尋常ではない目つき、まさに怨念の籠った形相で相手を睨みつけながらひたすら罵るのである。
発作は一年のうちに数度、春先か秋の初めに起こり、いったん始まるとひと月くらい毎晩、父への攻撃が繰り返される。
原文の引用終わり
ご家族は精神病院に入院させるかどうかで何度も相談した。
最後にご主人があらゆる伝手(つて)を探し求め京都大学の名誉教授で精神病理学の権威である木村敏先生に受診させた。
ご本人もご家族にも辛い時期が続いた後、娘さんに連れられて初めて木村先生を受診した後、女流歌人は「よく連れてきてくれた」と凄く喜んだという。
先生とご本人の相性が良かったのだろう、とご長男さんは書いている。
この先生と定期的に面談するようになってから、落ち着くようになったそうだ。特にたいした治療はなかったようで、先生はただウンウンとうなづくばかりだったそうだ。それですっかり安心されたのだろうか。
その後、歌人は癌が再発した。粛々とその事実を受け入れ、死の前日まで多くの歌を作り続けて亡くなった。
女流歌人の死後、ご長男さんが母の人生をまとめた本を出版し木村先生に献本したところ、本を読んだ木村先生から、「自分もすっかり忘れていたのだが、女流歌人が高校生の時に精神に変調をきたしたという記載があり、その時に自分が「診察していた」事を思い出されたそうだ。
何故なら、一時的な精神的な変調をきたし、同時に脳波の異常を示す病態を日本で初めて記載し「間脳症」と命名したのはこの先生であり、女流歌人が高校生の時、診断を受けたと日記に記載していたそうだが、その時、通院していた病院は、木村先生がドイツ留学から帰国して、しばらくの間、勤務していた病院なので、まず間違いないそうである。
40年の時を経て、かってと同じように患者と医師として巡り合ったというまるで小説のような物語であったと著者は結んでいる。
変化に対する感受性を高めて速やかに適応できるか
前回、人は絶望しないために悪を必要とすると書いた。
今回紹介したケースでは、ご本人にとって「悪」になってしまった対象が、配偶者であり家族であったようだ。
実際、病気が原因で痛みが続く場合、患者さんの怒りの矛先は、身近な人、とくに配偶者や家族に向いてしまう。
以前から、著名人とかが雑誌に闘病記を書いていたりするが、案外、心が切り替えられないまま奥さんに八つ当たりしているケースが多い。
前回、書いたキューブらロスの死の受容のプロセスのように、誰しもが通るプロセスにおいて、一気に神との取引まで心を切り替えらることが、どんなに難しいのかを示している。
一方、このケースで興味深いのは季節の変わり目に爆発的な発作が起こっていることだ。
以前から、このブログで描いているように、自分は季節の変わり目に何が起こるかわからない怖さがあると思っており、特に11月は誰でも何かしら異変が起こる季節ではないか、と思っている。
自分も気をつけてはいるのだが、去年の11月は寒くて寒くて大変な日が続いてい何となくめげていた。
11月3日のブログにダーウィンの言葉で「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応した種である」という言葉を紹介している。
大事なのは、日ごろから体調や自分の心の変化に対する感受性を高めておくことであり、そうすれば変化に対して速やかに適応できると思う。
人生は生きている限り変化が連続するものであり、それに対して常に適応することが求められる。
自分の身体に何か異変があったとき、欲も得も何もかも捨ててしまうように心がける事が大事である。
そうは言っても、明日、自分が癌であると宣告されたとして、自分がまわりに八つ当たりせずに癌に適応できる人間になれるか、全く自信がない。
そうなったら、こんなに気楽に考えられていないだろう。