1ヶ月前、ブログに懸垂が14回こなせるようなったと書いた。昨日、十三のジムでトレーニングの最後に懸垂をして回数を数えてみた。ちょっとだけ伸びて18回になっていた。また、ダンベルプレスも36キロを6回できるようになった。進歩しているのを感じている。体重が増えているが、きっと筋肉も増えているのだろう。
大学の数学
これも1ヶ月ちょっと前に行列計算をしていると書き、高く立ちはだかっていた数式の壁が崩れ始めたという内容を書いた。その後も、徐々であるが、線形空間や線形写像の論理展開の大枠が見えてきた。
ここまで到達してみて湧いてきたのが、数学科の学生は誰でもこれをマスターしているのだろうかという疑問である。
現役の数学者がその疑問に答えている記事を見つけた。内容は格差社会のことを書いているのだが、その一部を紹介する。
格差社会待望論 - 辻 元:http://blogos.com/article/43083/より引用。
著しい個人の能力差
私は、長年、大学で数学教育に携わって、痛感するのは、個人の素質の違いが非常に大きいということである。実際、1年生から4年生まで、良くできる学生は殆ど入れ替わりがない。そして、学生とゼミで接するようになると、それぞれの学生が、どこまで伸びるのかは、凡そ推測が付く。
その位、抽象能力や、論理能力に個人差が大きく、正直、残酷だと思うこともある。梅の木は梅ノ木であり、松に仕立てることはできない、というのが私の長年の教育経験の実感だ。
大学レベルの数学となると、誰もがマスターできるわけではない。これは、一般人が、宙返りが出来ないのと、同じことだ。個人の持つ、素養を見極め、できることを伸ばすしかない。数学に限らず、プログラミングの技能など、他分野でも、個人の能力格差が大きい。
東京大学理科2-3類の学生250人の微分積分の演習を担当する助教の知人に聞いた話では、彼が「できる」と思う学生は1人しかいないという。
実際、現状では、京都大学など超一流国立大学の数学科でも、線形代数と微分積分さえ一人前に出来れば、大学院に進学できる。そのくらい人材の層は薄い。 こうした教師の目から見た、著しい能力差は、彼らが社会に出た際に、きちんと評価され、待遇面で考慮されているだろうか。
教師の私の目から見て、優れた学生と、凡庸な学生の給与は、少なくとも5倍の差があってしかるべきだと思う。 それが社会的に正当化できないとしたら、社会が人材を有効に活用できていないからとしか考えられない。
引用終わり。
感想
大学入試以来、40年まったく数学と関係ない世界に住んでいた自分が、突然、独学で数学をマスターしてみようと挑戦し始めた事は、一般人がいきなり宙返りをしようとするくらい無謀な挑戦だったようだ。「めくら蛇に怖じず」という言葉通りの展開だったのかもしれない。
結局、問われるのは現代数学の本質である、抽象化思考の能力や論理的思考能力が一定のレベルに達するかどうかであり、線形代数をマスターすることで可能となるようだ。
3ヶ月前の自分を振り返ると、随分理解度があがっている。もう少し高い視点に到達できるような予感がしている。ただ、問題は、それが3ヶ月なのか1年先なのか分からないことだ。自分の目標は考えた事を数式で表現できるようになりたいという低いレベルの目標なので、前向きに考えて勉強を続けよう。
懸垂も自分の目指す数学も同じようなものだと考えあきらめずにコツコツ努力しよう。そうすれば一定の成果が出てくれると信じて頑張ります。
明日は新病院の開院日
今晩の真夜中、午前0時から新病院で救急診療が開始する。午前8時半から患者の移送が始まる。自分は午前8時頃に行き、技師さん達に挨拶をすることになっている。それから、部署では、設置された新しい分析機器や生理の機械を動かして調整し、明後日の外来に向けて準備することになっている。新病院のチャーチでの最初の朝礼が楽しみだ。
九州の雨がやんだ
今日は、福岡に住んでる後輩がイベントを開催する日である。先日来、九州でもの凄い大雨が続いていたので、開催できるかどうか心配していたのだが、今は雨がやんでいるようだ。イベントが成功しますように祈っています!
1日間違えてしまった
昨日は土曜日だったので、ワインを飲んで酔っぱらってしまい、ブログを書く日を1日間違えてしまいました。明日はお休みして、次は火曜日にアップします。
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