ここは、四万十(シマント)川と
全国一・二位を争う透明度を誇る仁淀(ニヨド)川の上流(支流)の
安居(ヤスイ)川の更に上流にある風光明媚な安居渓谷・・。
ここへ行く道のりは(都会人にとって)容易ではないが
それでも、多くの人はレンタカー(‛わ’ナンバー)等を
借りて、都会からやって来る。
もっとも僕らが行った22日(火曜日)には
「つくば」等の関東ナンバー車も走っていたから、
腕に自信のある方は曲がりくねった急坂・難所の道に
挑まれるのも一興だと思う。
僕も‛土浦(ツチウラ)’ナンバー車(「つくば」の東隣だが多くは重複する)等で東京・高知間を数十回も往復したが、
日本海回り(道路が空いていて走りやすい)で行く場合は
約1,000kmに近い‘道のり’となる。
若者らの一人旅等では、高知駅からJRに乗車>
佐川駅でバスに乗換え>狩山口(カリヤマグチ)のバス停で下車>
タクシー(要予約)等を乗り継いで行く方法(もみじ公園下車)
もあるが「一日仕事」となり、費用も
1~2万円を要する(帰途はタクシーを宝来荘前へ呼ぼう!)。
(水は透明で底まで見える)
僕が走って行った前後には高知市内のタクシー等が
県外客らしき人たちを乗せて居たが、その場合は「一日借切り」になって、
費用も3~4万円前後になるようだ。
(バンガローもあるから夏等には何泊もできる)
横浜市から来ていた定年間近らしき夫婦は、
高知ナンバーのレンタカーで県内を旅行して回っていた。
「遊ぶために働くんだ!」
そういう発想が無ければ県外旅行は難しい。
今でも僕は、そう思う!
(雨が少なく流れは小さかった)
僕が、この渓谷へ最初に訪ねて行ったのは
高校2~3年次の学年行事だった。
だから、もう55年以上も前になる。
(水底が見える透明さに驚いて、見入る観光客も多い)
2度目に行ったのは35年位前に
小学生・保育園児になった子供たちを連れてだった。
(高三の孫娘と高一の弟。孫娘の背は僕に近い)
そして今、老年期になり
孫たちを連れて行くことが多くなった。
この歳になると、孫らを連れて出かける以外に
「何もすることが無い」日々が続く・・。
(遊歩道も整備され、散策を楽しめる)
いや、すべきことは沢山あるのだが
「さぁ~、やるぞ~!」
そんな馬力を蓄えるには数日を要する。
(夏には岩の飛び込み板から飛び込みを楽しめるようだ)
だから、何もせずに過ごすことが多くなった。
そのため、出勤が一週間も連続すると
台所周辺や室内はゴミだらけになってしまう。
(駐車場・トイレ等も数か所整備されている)
老後を快適に過ごすためには・・子や孫たちの世話になるか?
それとも、どこかの老人ホームへ入れてもらうか・・?
そういうことを考えねばならない。
そんな時期が近づきつつあるようだ。
(中央の細道を登って行くと‘仁淀ブルー’を楽しめる)
コロナ過・・ケメちゃんちもタイヘンだね~~!?
我が家では、
日曜日の晩から婿を2階の一部屋に隔離し、
月曜日からは娘を2階の別の部屋に隔離し、
孫たちも2階のそれぞれの部屋に閉じ籠るようになった。
2階のトイレは娘夫婦の専用にし、
孫たちは1階のトイレを使うようになった。
中・高生3人の孫らは自宅待機になり、授業も受けれない。
カミさんや長男は出勤禁止で、朝晩の二回、
体温等を計って、体調とともに会社へ報告せねばならない。
しかし、娘夫婦の三食を用意したり
飲みたい物のリクエストを聞いて、その都度
2階へ持って上がるのは結構な負担になる。
(谷の反対側には数十年前に建てられた展望台がある。古ぼけてはいるが頑丈に造られている)
一度きりで処分する“使い捨て食器”も
沢山買ってきた。
弁当箱のような食器に料理を盛るのは長男の仕事で
それを孫たちが2階の廊下において
「ご飯持ってきたよ~!」
と声を掛けてから降りてくるのが日課になった。
(遊歩道には前かがみの姿勢にならないと登れないような急坂もある)
孫たちと過ごす日々も終わり、昨日の午後の便で東京へ戻ってきた。
明日からは二人少なくなった職場で
再び、てんやわんやする日々が続きそうだ!?
(疲れたら所々にあるベンチで休憩しよう!)