<詰碁解答コーナー>
問題図(再掲)
初手は黒1ツケが正解。白2のヒキには俗筋のようですが、図のように黒7まで白死となります。黒5では7から打っても問題ありません。
白2ブツカリは自然な応手ですが、黒7までダメヅマリで白死です。
白2アテが最強の抵抗。黒3のアテは軽率でした。続いて白10ツギなら前図に戻るとのもくろみですが、白4抜きでダメヅマリを避けられ、以下白10までウッテガエシで白生き。アトギリの形にはなりません。これを避けるために黒5などで黒10のアテを利かそうとすれば、白はかまわず白6などと守り、白二目取りには黒一子を取り返せば、セキより悪くなることはありません。黒7か9のタイミングでも同様の考え方で白生きです。
余計な利かしを打たず黒3とハネ出し、じっと黒5とツナぐのが絶妙の手順でした。やむをえない白6に対し、黒7と矢吹丈なんて問題にならないぐらいの見事なクロス・カウンターが決まり、白死となりました。
どうです?なかなかよくできているでしょう?
黒1のハネダシから黒3のコスミツケも、今まで見てきた正解コースと同じ考え方で有力なのですが、黒1ハネダシと白2切りが余計な交換となっており、コウとなっては失敗です(白10は△のところにコウ取り)。
いやー、それにしてもこの問題は奇跡的によくできました。
皆さんこんにちは、tsumebloです。
前回に引き続き、照ノ富士特集です!
なお、この記事はこのまま読まれても大変ありがたいのですが、前回の「【祝大関復帰】照ノ富士関特集!前編」を先に読んでいただけると、
すごーくおもしろいんだ!すごーくゆかいなんだ!
【祝大関復帰】照ノ富士関特集!前編 - 囲碁マニアの詰碁ブログ
※前回の記事では「○月場所」との表記方法を用いたあとに「秋場所」と書いてしまい、ちぐはぐな表記となってしまいました。今回の記事では「○月場所」に統一して書いていきます。
2013年7月場所後に新十両昇進を果たし、「関取・照ノ富士」が誕生。その後の活躍を見ていきます!
新十両として迎えた9月場所では12勝3敗で、いきなり新十両優勝を果たしました。
その後も勢い止まらず2014年3月場所で新入幕。
そこからも勝ち越しを重ね、同年9月場所では東前頭筆頭まで番付を上げました。当時22歳、そのころtsumebloはようやく大相撲を観始めたところでしたが、「こりゃすごい若手が出てきたな」と多くの相撲ファンが思っていたことでしょう。
その場所は6勝9敗と負け越しましたが、翌11月場所は上位で勝ち越し、2015年、激動の年を迎えます。
1月場所は東前頭2枚目で2大関を破る活躍もありましたがそれほど星は伸びず、千秋楽の玉鷲戦に勝ってなんとか勝ち越し。
しかし敢闘賞を受賞、初の三賞受賞となりました。失礼ながら、横綱に勝てずの8勝で敢闘賞受賞は非常に珍しいことです。
なぜそうなったのか。以下はWikipedeiaからの引用です。
「三賞制度発足以来初となる全三賞該当者無しの危機に瀕していた。三賞選考委員会で、千秋楽の白星を条件に殊勲賞は宝富士、敢闘賞は宝富士、照ノ富士、玉鷲が候補に挙がったが、19人の選考委員の挙手により受賞に値するとされたのは、敢闘賞の宝富士だけであった。宝富士が佐田の海に敗れれば、1947年の三賞制度制定以来、初のすべて該当者なしとなるところであった。そこで伊勢ヶ濱親方が『(三賞ゼロは)厳しい審判部と言われる』と意見をし、別の委員から『照ノ富士―玉鷲の勝者』も候補にと提言があり、再投票で認められて該当者なしの危機を脱した」
同場所の幕内力士の勝敗表ですが、横綱白鵬が一人星をかっさらい、他の力士が激しくつぶし合う大変厳しい場所でした。
小結・関脇の4人全員が負け越し、たいていの場所なら三役に上がることのできない成績の力士がどんどん上がっていきました。逸ノ城・栃煌山などを三役に据え置いてもよかったと思いますが…。
翌3月場所は番付運よく初めての三役昇進、小結を通り越して関脇に昇進しました。
初日から7連勝するなど絶好調でしたが、腹の不調で十一日目の魁聖戦をあっさり敗れ、2敗目を喫したのが痛かった。
しかし十三日目は、ここまで5場所連続優勝、36連勝中で、この日照ノ富士に勝てば十三日目にして優勝が決まる横綱白鵬戦で、先に上手を取るうまい攻めで寄り切り、4度目の対戦で初めて白鵬を破りました(tsumebloはこの辺りで照ノ富士ファンになりました)。
十四日目の逸ノ城戦は1月場所に続き2場所連続で水入りとなる大珍事。1月場所の対戦では敗れましたが、結果は照ノ富士の勝ちとなりました。
千秋楽も勝ち、13勝2敗。白鵬は1敗を守り抜いたので優勝は逃しました。やはりあの○○○が出そうで…あの一番が惜しかったですね。
それでも、もはや誰が出てきても倒せないのではないかと見られていた、当時全盛期(八百長とも言われていますが)白鵬を倒しての優勝次点は大きく、殊勲賞・敢闘賞受賞となりました。
3月場所の大活躍で、5月場所は三役2場所目にして、結果次第では、早くも大関昇進があると言われていました。
ところが初日に「油断した」(本人談)と佐田の海に敗れ、二日目から7連勝したものの、九日目は徳勝龍相手に取りこぼし、十一日目に白鵬に敗れ早くも3敗となり、優勝争いトップから星の差を2つつけられた時点では、tsumebloが読んでいた当時の朝日新聞の記事では「照ノ富士 大関消えた」の見出しが躍り、記事本文は「来場所頑張れ」的な内容でした。
ところが翌十二日目から白鵬が急失速し、十四日目を終えた段階で白鵬、照ノ富士が3敗で並ぶ展開に。
千秋楽、照ノ富士は碧山を破り、照ノ富士の兄弟子・日馬富士が白鵬を倒し、照ノ富士が逆転で初優勝!場所後の大関昇進もほぼ決まりました!
初優勝を果たし、師匠の伊勢ヶ濱審判部長から賞状・優勝旗を受け取る照ノ富士
初めての平成生まれの大関誕生です。
新三役から所要2場所での大関昇進は史上最速記録で、現在も破られていません。
なんだかこの場所の白鵬・照ノ富士と、今年3月場所の髙安・照ノ富士が重なりますね。
場所後の5月27日の番付編成会議・理事会で正式に大関昇進が決まりました。同日の大関昇進伝達式で照ノ富士は「謹んでお受けいたします。今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進いたします」と述べました。
大関昇進伝達式を終え、騎馬に乗って笑顔の照ノ富士
まだ大関に昇進した段階であるにもかかわらず、あまりの強さに「次の横綱」ともてはやされ、本人もまんざらではなかったようです。
照ノ富士は現在、この頃を「なんでもうまくいって、イケイケだった」と振り返っています。
ただ、この頃の相撲は、差されるとすぐに下がりながら強引に小手に振る、パワーだけでねじ伏せる相撲が多く(それでも勝つ相撲が多いのですが)、膝に負担をかけ、のちの大けがにつながりました。
新大関として迎えた7月場所は十一、二日目に白鵬、鶴竜に連敗したことが響き最後まで優勝争いに絡むことができず、千秋楽は7勝7敗の成績だったカド番大関・琴奨菊の注文相撲に屈し、11勝4敗に終わりました。
9月場所は初日から日馬富士、三日目から白鵬が休場する中、初日から自身最高の11連勝で単独トップに立ちましたが、十二日目に栃煌山にうまい相撲を取られて連勝ストップ。
さらに十三日目は稀勢の里に完敗、寄り倒された際に膝が逆に曲がってしまったのか(ちょうどいい画像見つからず。スミマセン)、右膝前十字靭帯断裂の大けがを負ってしまい、強行出場の十四日目は豪栄道に力なく敗れ3連敗、鶴竜に首位を明け渡してしまいました。
しかし千秋楽結びの一番では右膝の痛みをこらえ、寄り切りで鶴竜戦初勝利、優勝決定戦に持ち込みましたが、大けがを負った中での1日二番は負担が大きく、鶴竜の出し投げにあっさりと土俵にはいました。
11月場所以降はけがをした部分をかばおうとすることで、どんどん別の場所を負傷していく悪循環で思うような成績を残せず、少し勝ち越しては大負けするパターンが続きます。
照ノ富士の大けがをした2015年9月場所~2017年1月場所までの成績
すぐに昇進するだろうと見られていた第72代横綱の座は稀勢の里に奪われ、「弱い大関」のイメージが定着してしまってきていました。
復活のきざしを見せたのは、2017年3月場所でした。
十二日目では遠藤の寄りを土俵際でこらえるなど、膝の調子がかなりよくなっているようで、最後は浴びせ倒して11勝1敗。
圧倒的強さを見せ12戦全勝としていた新横綱稀勢の里を1差で追う展開でしたが、十三日目の鶴竜戦の取組中、以前痛めた左膝の状態が悪化。
なんとか寄り切ったものの、十四日目はこの場所、大関から転落してきている琴奨菊との取組が組まれていました。大関から転落した翌場所で、10勝を挙げると大関に復帰できる特例があるのですが、琴奨菊は十三日目まで8勝5敗、もう負けられない状況での照ノ富士戦でした。
しかし、照ノ富士はまともに相撲を取れる状態ではないと、立ち合い変化を選択。決まって13勝目を挙げましたが、琴奨菊の大関復帰を阻んだことと、前日に稀勢の里も大けがを負っていたことがあり、館内はブーイングの嵐。
照ノ富士は取組後、SNSでどういうことを言われているのかチェックしたそうですが、ここでもブーイングの嵐。
この後の転落は、ここで気持ちが沈んでしまった部分も大きかったそうです。
千秋楽は13勝1敗の単独トップで迎えましたが、結局は皆さんご存知の通り、稀勢の里の劇的な逆転優勝の引き立て役となってしまいました。
tsumebloは当時照ノ富士のけがを知らなかったので、まさか優勝を逃すとは思わず、テレビの前で呆然としました。
優勝決定戦、照ノ富士(左)は小手投げで稀勢の里に敗れる
しかし、照ノ富士が十四日目に変化した時は大ブーイングだったのに、稀勢の里が千秋楽の本割・決定戦で見せた変化は誰も何も言いませんでした。理不尽ですよね。
表面だけ見ればドラマチックな、素晴らしい場所だった…と思いますが、裏を覗いてみれば、稀勢の里はこの強行出場で力士寿命を激しく縮め、照ノ富士も強行出場、ブーイングでの心の傷が転落の大きな一因となり、何かとあと味の悪い場所でした。
照ノ富士は翌5月場所も優勝次点の成績を残しましたが、そこでも膝が悪化し、7月場所からついに転落が始まり……
転落と復活の軌跡は次回に!
最後に、本当に更新が遅くなり申し訳ありません。
この特集が終わったら、内容を軽くして更新頻度を上げていきます!
毎回このぐらいの内容だと、途中でしんどくなってしまうので……😅
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黒先です。自然に打てば、正解に辿り着けます。
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