子供の頃、我が家は「断れない貧乏」だった。
タクシー会社の専属修理人だった親父の給料は手取10万円。昭和50年代にしても安かった。社宅だったのでなんとか暮らしていけたのだろう。
母親は様々なパートをしていたので、家計は厳しかったのは伺える。
その当時、共働きは貧乏の象徴みたいなものだった。
母親の口癖は「お金がない、お金がない」だった。
酒とギャンブル好きの父親とよく揉めていたなぁ。そりゃそうだ。
しかし、思い起こすと四畳半二間の社宅にしても、家にはやけにモノが溢れていた。
欲しいものはほとんど買ってもらった記憶はないというのに…。おかしいなといまさら気づく。
【貧乏の本当の理由】
子供の頃の部屋を思い出してみた。
山積みになっていた毎月送られてくる絵本や学習教材。
高額な図鑑、新聞なんか2社も定期講読している時期もあった。
牛乳や乳酸菌飲料も毎日届いていた。どんどん冷蔵庫に溜まっていた。
一般的には目にしたことがない英語のカセットテープ?の教材は高かったにちがいない。
残念ながら僕は勉強に興味が持てず、定期講読していた教材は溜まっていく一方。
僕ら兄妹の肥やしになっていくばかりだった。
母親のもうひとつの口癖は「この教材、毎日やりなさい!」だったのは言うまでもない 笑
そこでふと気がついてしまった。子供の頃のド貧乏だった訳を。
両親ともに「断れない」性格だったからだ。
親父は友人を大切にしていた。友人に呼ばれると、何はともあれ出向いていく。
友人のほとんどが酒飲みやギャンブラー。当然朝帰りで家は開けっ放し。
母親は人が良すぎて、押し売りが来ても断れない。
やさしい性格が災いして「子供のためだから」と言われてついつい買ってしまうのだろう。
勉強に対して意欲のない子供たちをなんとかしたいと感じていたのはわかるが…。
結局はその押し売りされたものを子供にも押し売りするという形になっていた。
子供心に両親の人の良さ、悪く言うと外面(そとづら)の良さにうんざりしていた。
家では鬼のように厳しく、外では笑顔を絶やさない。
どこでもそうだと思うが、ちょっと度が過ぎていたと思う。
「嫌われたくない」
「断って相手をがっかりさせたり悲しませたくない
「無理してでもなんとかしよう」
両親は引き受けたほうが楽だという悪循環に陥っていたにちがいない。
結果的に全てが我が家の「お金がない」という不安の元になっていったのに。
いや、むしろ「よく払いきってたなぁ」と感心した 笑
【断る勇気をやっぱり持てなかった自分】
高校を卒業してすぐにひとり暮らしを始めた。
休日に家にいると、訪問販売や新聞の勧誘が必ずやってくることに驚いた。
僕は両親と違って、いや、むしろ見てきたので、それらを断る作戦を考えては試していた。
しつこい新聞の勧誘にはほとほと困っていたが、山積みの洗剤を積まれたときだけは、半年間定期講読したな 笑
若い頃は「飲み会」というのが苦手だった。
バブリーな90年代はとにかく飲み会が多かった
20代前半はデパート勤めだったので、とにかく社員通用口で仲間に待ち伏せされて
「いまから飲みに行こう!!」と毎日のように誘われる。
勧誘は断れても友人の誘いがなかなか断れない。親父と一緒だ。
当時の僕は、ゲコで酒は飲めないし、飲み会でうっかり飲んだら頭はガンガン、楽しそうなみなさんを恨めしそうに眺めながら睡魔に陥り撃沈。
そして飲んでもいないのに高額の支払い。おーのめった。
(ちなみにゲコは高知に移住してからだいぶ克服した )
当時「嫌われる勇気」という本があったらすぐに購入していただろうに(笑)
結局、親と同じで「断れない」僕は、ひとりになりたくてバス釣りにハマっていく。
20代後半~30代の話だ。
ひとりで道具を選んで、ひとりで釣りに行く。
飲み会も「明日釣りで朝早いから」と断れる。
そんな生活が続いたが、それでもすべての誘いを断れず、行った後に激しく後悔することもしばしば。
一般的に、ほどほどに付き合いの良い人になっていた。
バスフィッシングは、あまりに激ハマりすぎて、ついにプロトーナメントまで参加するところまで行った。
仲間もできて、それはそれで楽しい毎日だった。
ただトラウマ的に
「ギャンブル」
「酒」(最近は嗜んでるが 笑)
は、どうしても自分の中で受け入れることができなかった。
おっと、バストーナメントは賞金がでるのでギャンブル性があった。
やはりDNAなのか・・・笑
【「働いてからやりなさい」母の口癖】
話は変わるが先日、東京で一人暮らしをしている高齢の母親との会話で
息子の話や近況を話しているとき、ふと母親が言った。
母親:
「あんたの子供の時はごめんね、いろいろ買ってあげたり、させてあげられなくて・・・」
僕:
「あぁ、家も大変だったし、お金もなかったし、しょうがないよ。」
母親:
「話を聞いてると、その分、孫にしてやってるのがわかるのよ。」
僕:
「そうかもね。なんでも買ってやることはないけど、息子が『これをやりたい!』というのは全部やらせてあげたいね。」
母親:
「そうか、よかった・・・」
僕:
「僕が子供の頃、母さんは『働いてから買いなさい!稼いでからやりなさい!』って、ムチャ言ってたでしょ(笑)だから今、好きなことをやってるから大丈夫!」
母親:
「そうか…ごめんね…。」
話を聞いていると相変わらず近所付き合いなどで『断れない』母親のようだったが、自分なりに上手に対応しているようだ。
ただ、僕が子供の頃にモノで溢れていた話には触れないようにした。
母親に教材を押し付けられたりされて勉強嫌いになったこと(人のせいにしてはいけないが 笑)、押し売りを断れず、それが原因で貧しかったことを今更話してもお互い傷つくだけだ。
【自らも相手に押し付けないこと】
いま思うと、その教材をしっかりとこなしていけばよかったのかなと思うが、
自分の息子に同じように「やりなさい」といってもなかなかやらない。
僕の親のように押し付けたら勉強が嫌いになるだろう。
親としては「押し付けず、興味を持たせて、自分から」をモットーにいろいろと試行錯誤していくしかない。
なにはともあれ「自分から始めたこと」は3日坊主なこともしばしばだが、ずっと心にひっかかり、いつかは達成すると信じている。
自己主張しないわけではないが、自分にも家族にも、「できるだけ押し付けないように物事を進めていければいいな」と考えながら暮らしていこう。
それが何か自分らしい。
タクシー会社の専属修理人だった親父の給料は手取10万円。昭和50年代にしても安かった。社宅だったのでなんとか暮らしていけたのだろう。
母親は様々なパートをしていたので、家計は厳しかったのは伺える。
その当時、共働きは貧乏の象徴みたいなものだった。
母親の口癖は「お金がない、お金がない」だった。
酒とギャンブル好きの父親とよく揉めていたなぁ。そりゃそうだ。
しかし、思い起こすと四畳半二間の社宅にしても、家にはやけにモノが溢れていた。
欲しいものはほとんど買ってもらった記憶はないというのに…。おかしいなといまさら気づく。
【貧乏の本当の理由】
子供の頃の部屋を思い出してみた。
山積みになっていた毎月送られてくる絵本や学習教材。
高額な図鑑、新聞なんか2社も定期講読している時期もあった。
牛乳や乳酸菌飲料も毎日届いていた。どんどん冷蔵庫に溜まっていた。
一般的には目にしたことがない英語のカセットテープ?の教材は高かったにちがいない。
残念ながら僕は勉強に興味が持てず、定期講読していた教材は溜まっていく一方。
僕ら兄妹の肥やしになっていくばかりだった。
母親のもうひとつの口癖は「この教材、毎日やりなさい!」だったのは言うまでもない 笑
そこでふと気がついてしまった。子供の頃のド貧乏だった訳を。
両親ともに「断れない」性格だったからだ。
親父は友人を大切にしていた。友人に呼ばれると、何はともあれ出向いていく。
友人のほとんどが酒飲みやギャンブラー。当然朝帰りで家は開けっ放し。
母親は人が良すぎて、押し売りが来ても断れない。
やさしい性格が災いして「子供のためだから」と言われてついつい買ってしまうのだろう。
勉強に対して意欲のない子供たちをなんとかしたいと感じていたのはわかるが…。
結局はその押し売りされたものを子供にも押し売りするという形になっていた。
子供心に両親の人の良さ、悪く言うと外面(そとづら)の良さにうんざりしていた。
家では鬼のように厳しく、外では笑顔を絶やさない。
どこでもそうだと思うが、ちょっと度が過ぎていたと思う。
「嫌われたくない」
「断って相手をがっかりさせたり悲しませたくない
「無理してでもなんとかしよう」
両親は引き受けたほうが楽だという悪循環に陥っていたにちがいない。
結果的に全てが我が家の「お金がない」という不安の元になっていったのに。
いや、むしろ「よく払いきってたなぁ」と感心した 笑
【断る勇気をやっぱり持てなかった自分】
高校を卒業してすぐにひとり暮らしを始めた。
休日に家にいると、訪問販売や新聞の勧誘が必ずやってくることに驚いた。
僕は両親と違って、いや、むしろ見てきたので、それらを断る作戦を考えては試していた。
しつこい新聞の勧誘にはほとほと困っていたが、山積みの洗剤を積まれたときだけは、半年間定期講読したな 笑
若い頃は「飲み会」というのが苦手だった。
バブリーな90年代はとにかく飲み会が多かった
20代前半はデパート勤めだったので、とにかく社員通用口で仲間に待ち伏せされて
「いまから飲みに行こう!!」と毎日のように誘われる。
勧誘は断れても友人の誘いがなかなか断れない。親父と一緒だ。
当時の僕は、ゲコで酒は飲めないし、飲み会でうっかり飲んだら頭はガンガン、楽しそうなみなさんを恨めしそうに眺めながら睡魔に陥り撃沈。
そして飲んでもいないのに高額の支払い。おーのめった。
(ちなみにゲコは高知に移住してからだいぶ克服した )
当時「嫌われる勇気」という本があったらすぐに購入していただろうに(笑)
結局、親と同じで「断れない」僕は、ひとりになりたくてバス釣りにハマっていく。
20代後半~30代の話だ。
ひとりで道具を選んで、ひとりで釣りに行く。
飲み会も「明日釣りで朝早いから」と断れる。
そんな生活が続いたが、それでもすべての誘いを断れず、行った後に激しく後悔することもしばしば。
一般的に、ほどほどに付き合いの良い人になっていた。
バスフィッシングは、あまりに激ハマりすぎて、ついにプロトーナメントまで参加するところまで行った。
仲間もできて、それはそれで楽しい毎日だった。
ただトラウマ的に
「ギャンブル」
「酒」(最近は嗜んでるが 笑)
は、どうしても自分の中で受け入れることができなかった。
おっと、バストーナメントは賞金がでるのでギャンブル性があった。
やはりDNAなのか・・・笑
【「働いてからやりなさい」母の口癖】
話は変わるが先日、東京で一人暮らしをしている高齢の母親との会話で
息子の話や近況を話しているとき、ふと母親が言った。
母親:
「あんたの子供の時はごめんね、いろいろ買ってあげたり、させてあげられなくて・・・」
僕:
「あぁ、家も大変だったし、お金もなかったし、しょうがないよ。」
母親:
「話を聞いてると、その分、孫にしてやってるのがわかるのよ。」
僕:
「そうかもね。なんでも買ってやることはないけど、息子が『これをやりたい!』というのは全部やらせてあげたいね。」
母親:
「そうか、よかった・・・」
僕:
「僕が子供の頃、母さんは『働いてから買いなさい!稼いでからやりなさい!』って、ムチャ言ってたでしょ(笑)だから今、好きなことをやってるから大丈夫!」
母親:
「そうか…ごめんね…。」
話を聞いていると相変わらず近所付き合いなどで『断れない』母親のようだったが、自分なりに上手に対応しているようだ。
ただ、僕が子供の頃にモノで溢れていた話には触れないようにした。
母親に教材を押し付けられたりされて勉強嫌いになったこと(人のせいにしてはいけないが 笑)、押し売りを断れず、それが原因で貧しかったことを今更話してもお互い傷つくだけだ。
【自らも相手に押し付けないこと】
いま思うと、その教材をしっかりとこなしていけばよかったのかなと思うが、
自分の息子に同じように「やりなさい」といってもなかなかやらない。
僕の親のように押し付けたら勉強が嫌いになるだろう。
親としては「押し付けず、興味を持たせて、自分から」をモットーにいろいろと試行錯誤していくしかない。
なにはともあれ「自分から始めたこと」は3日坊主なこともしばしばだが、ずっと心にひっかかり、いつかは達成すると信じている。
自己主張しないわけではないが、自分にも家族にも、「できるだけ押し付けないように物事を進めていければいいな」と考えながら暮らしていこう。
それが何か自分らしい。
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