日韓合意という屈辱を味わっていますが、
青山繁晴さんが、ご自身のブログで、私達にひかりの差す内容を投稿して下さっていますので、
転載します。
転載始め
*****
2016-01-04 03:49:01
夜明け前に (*追加の情報を書き加えました)
▼いま新年1月4日月曜の未明3時12分です。
夜が明けると、インドへ出発します。
いまは、ニューデリーで開かれる日印歴史シンポジウムで日本側の最初として行う講演の英文原稿を、何度も何度もブラッシュアップ、磨き直している最中です。
日本から10人ほどの研究者・学者が参加します(インド側もほぼ近い数です)が、日本側の最初でもあり、練りに練った講演にしたいのです。
▼このシンポジウムは、大問題となっている日韓合意も含め、いわゆる歴史問題に本来は深く関係しています。
ぼくは長年、一民間人ながら、ある提案を日本政府に働きかけてきました。この政権、あの政権と右顧左眄するのではなく、すべての政権に対してです。
大戦前、ほぼすべてのアジア諸国が西洋の植民地にされていましたが、日本の登場と戦いによって大戦後にその諸国が独立を果たしていった歴史を公正に見直すべきであり、特に、インドやベトナムと連携してそれを行うべきだという提案です。
▼このささやかな働きかけは、ずっと無視されてきましたが、ようやくにして昨年の1月、インド独立運動を率いた英雄チャンドラ・ボースさんの故郷ベンガルで、日印の歴史フォーラムが開かれ、ぼくも講演しました。
チャンドラ・ボースさんは、帝国陸軍と協力してインド国民軍を建軍し、イギリスの冷酷な植民地主義からインドを独立させるよう尽くしたひとです。
日本では、日本に批判的だったガンジーさんだけを崇めるかのような教育と報道がされ、ボースさんは無視されてきましたね。
ぼくはこのときの講演で、インドに「チャンドラ・ボース・ジャパン大学」を創建し、そこには歴史学部も置くことを提案しました。
インド側は、高名な学者から一般庶民まで、熱狂的にこの講演と提案を受け止めてくれて、涙を流しながらぼくの手を握って離さない市民もいらっしゃいました。
▼その流れを引き継いで、今年1月に今度はインドの首都で、上記の歴史シンポジウムが開かれることになったのですが、ぼくには全く何の知らせもなく、講演の話もなく、今度は東大などの学者だけが講演することになっていました。
こうしたことは、ぼくと独研 ( 独立総合研究所 ) は、もう慣れっこです。これが日本社会です。
どんなに自費を投じて、どんなに長年、どんなに報われざる苦労をしても、ほとんど民間人のすることは無視され、ごく稀に実現することがあると、すべて官庁が東大などにその後は持って行き、ぼくや独研は何もしなかったかのように扱われます。
メタンハイドレートについても、実は全く、笑ってしまうほどに全く、同じことなのです。
しかし、大仰な言い方になってもあえて本心を言いましょう、ぼくと独研は国益と、にんげんの真実のためにやっているだけであり、報酬は何も求めていません。
それがぼくと独研のありのままの世界観です。
だから今回の実質上は第2回に当たる、日印フォーラムないしシンポジウムについても、一切何も言いませんでした。
▼それが昨年末になって、つまりシンポジウムの開催まさしく直前になって突然、ぼくに講演依頼、それもトップバッターとしての登壇依頼が文部科学省から来ました。
文科省からは特段、理由の説明はありません。
ただ、関係者、特に良心派の関係者からは「学者のみなさんの講演が、個別専門的な発表で占められているからです。現代史にもっと触れる講演が無いと、インド側と釣り合いも取れなくて…」という話がありました。
ぼくはこの1月初めには、パリを訪れて、重大テロの現場を回り、フランスの治安・軍事当局と議論する出張がすでに決まっていました。
日印シンポジウムともろに日程がバッティングします。
このパリ出張も一民間人としての、ちいさな努力です。費用はすべて独研の自費、赤字になるどころか最初から利益は完全にゼロ、売上も何もゼロという、いつもの海外出張です。
これを中止か延期にすると、さらに重い損失を被ります。
しかし独研の社長として即断し、パリ出張を延期、インド行きを決めました。
これで年末年始はすべてインド出張の準備に時間を奪われることになり、その前のアメリカ国内への出張にも大きく影響しました。
それでも、やるほかありません。
インドで、大戦の歴史を公正に見直そうという歴史観の講演を致してきます。
こうした小さな動きが、日韓合意の誤りをすこしでも糺(ただ)すことにいつか繋がることを祈るほかありませぬ。
▼インドの準備に忙殺されながら、昨夜に政権の中枢と眼を見ながら、日韓合意をめぐって議論しました。
烈しい議論になりましたが、とりあえずのこととして、幾つか要請しました。
たとえば外務省の英文発表の見直しです。たとえば官邸から祖国と世界に向けての発信・説明です。
実際はもっともっと具体的に要請しましたが、ここではまだ申しません。
あ~、正直、疲れる。
ぼくはほんとうは、ただ原稿、それも小説の原稿を書いて、スポーツをしていたい。
*追記
インドから帰国するのは、7日の木曜です。
ザ・ボイス(ニッポン放送のラジオ報道番組)は生放送にそのまま参加します。
日韓合意についても、インド行きについても、年明け最初のメディアでの発信はこのザ・ボイスになります。
この帰国の日には、チャンネル桜の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」の収録も、「ニュース女子」(東京MXテレビ)の収録もどっと入っています。(やれやれ…すこしだけ休ませてほしいナァ、ほんとは)
しかし生放送は、このザ・ボイスだけです。
同じ7日木曜朝の虎8(CS放送・ネット同時放送の「虎ノ門ニュース・8時入り」)はまだ生放送ではなく、優れたジャーナリストの有本香さんとの対談を収録で放送します。
これはぼくのインド出張の影響ではありません。虎8の制作側の都合です。
ちなみに、元旦の金曜日に放送されたベストセラー作家の百田尚樹さんとの対談も、生放送ではなく、収録です。
元旦分も7日分もいずれも事前に、生放送ではないことがすでにアナウンスされています。
いただいた書き込みの中に「百田さんとの対談で日韓合意について言及していないのはケシカラン」というものもあって、閉口します。
この対談を収録した時には、日韓合意は影も形もありません。
ぼくのことをすべて理解してほしいとはゆめ、思いません。
ただ、ご自分の基本的な勘違いを疑うこともなく思い込みだけを仰るのは、新年にはもう、無くなってほしいです。
虎8の生放送は、ぼくの参加分については1月第2週の14日木曜から再開です。
どうぞスタジオ前にお出でください。
日韓合意についても当然、踏み込んで話します。
いちばん奥の奥まで踏み込むのは、クローズドの会員だけに配信する東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)です。新年の初荷が、今日4日月曜に出せるのか、それともインド発になるのか、まだ分かりません。インドの準備の進捗次第です。
*****
転載終わり
では、また明日。
皆さんの今、そして未来も、皆さんにとって幸せな時であります様に…。
と言うよりも、
皆さんの今、そして未来も、皆さんにとって幸せな時であります。
(それが必ず実現される為に、”祈り”ではなく、”そうである”と断言しました。)
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青山繁晴さんが、ご自身のブログで、私達にひかりの差す内容を投稿して下さっていますので、
転載します。
転載始め
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2016-01-04 03:49:01
夜明け前に (*追加の情報を書き加えました)
▼いま新年1月4日月曜の未明3時12分です。
夜が明けると、インドへ出発します。
いまは、ニューデリーで開かれる日印歴史シンポジウムで日本側の最初として行う講演の英文原稿を、何度も何度もブラッシュアップ、磨き直している最中です。
日本から10人ほどの研究者・学者が参加します(インド側もほぼ近い数です)が、日本側の最初でもあり、練りに練った講演にしたいのです。
▼このシンポジウムは、大問題となっている日韓合意も含め、いわゆる歴史問題に本来は深く関係しています。
ぼくは長年、一民間人ながら、ある提案を日本政府に働きかけてきました。この政権、あの政権と右顧左眄するのではなく、すべての政権に対してです。
大戦前、ほぼすべてのアジア諸国が西洋の植民地にされていましたが、日本の登場と戦いによって大戦後にその諸国が独立を果たしていった歴史を公正に見直すべきであり、特に、インドやベトナムと連携してそれを行うべきだという提案です。
▼このささやかな働きかけは、ずっと無視されてきましたが、ようやくにして昨年の1月、インド独立運動を率いた英雄チャンドラ・ボースさんの故郷ベンガルで、日印の歴史フォーラムが開かれ、ぼくも講演しました。
チャンドラ・ボースさんは、帝国陸軍と協力してインド国民軍を建軍し、イギリスの冷酷な植民地主義からインドを独立させるよう尽くしたひとです。
日本では、日本に批判的だったガンジーさんだけを崇めるかのような教育と報道がされ、ボースさんは無視されてきましたね。
ぼくはこのときの講演で、インドに「チャンドラ・ボース・ジャパン大学」を創建し、そこには歴史学部も置くことを提案しました。
インド側は、高名な学者から一般庶民まで、熱狂的にこの講演と提案を受け止めてくれて、涙を流しながらぼくの手を握って離さない市民もいらっしゃいました。
▼その流れを引き継いで、今年1月に今度はインドの首都で、上記の歴史シンポジウムが開かれることになったのですが、ぼくには全く何の知らせもなく、講演の話もなく、今度は東大などの学者だけが講演することになっていました。
こうしたことは、ぼくと独研 ( 独立総合研究所 ) は、もう慣れっこです。これが日本社会です。
どんなに自費を投じて、どんなに長年、どんなに報われざる苦労をしても、ほとんど民間人のすることは無視され、ごく稀に実現することがあると、すべて官庁が東大などにその後は持って行き、ぼくや独研は何もしなかったかのように扱われます。
メタンハイドレートについても、実は全く、笑ってしまうほどに全く、同じことなのです。
しかし、大仰な言い方になってもあえて本心を言いましょう、ぼくと独研は国益と、にんげんの真実のためにやっているだけであり、報酬は何も求めていません。
それがぼくと独研のありのままの世界観です。
だから今回の実質上は第2回に当たる、日印フォーラムないしシンポジウムについても、一切何も言いませんでした。
▼それが昨年末になって、つまりシンポジウムの開催まさしく直前になって突然、ぼくに講演依頼、それもトップバッターとしての登壇依頼が文部科学省から来ました。
文科省からは特段、理由の説明はありません。
ただ、関係者、特に良心派の関係者からは「学者のみなさんの講演が、個別専門的な発表で占められているからです。現代史にもっと触れる講演が無いと、インド側と釣り合いも取れなくて…」という話がありました。
ぼくはこの1月初めには、パリを訪れて、重大テロの現場を回り、フランスの治安・軍事当局と議論する出張がすでに決まっていました。
日印シンポジウムともろに日程がバッティングします。
このパリ出張も一民間人としての、ちいさな努力です。費用はすべて独研の自費、赤字になるどころか最初から利益は完全にゼロ、売上も何もゼロという、いつもの海外出張です。
これを中止か延期にすると、さらに重い損失を被ります。
しかし独研の社長として即断し、パリ出張を延期、インド行きを決めました。
これで年末年始はすべてインド出張の準備に時間を奪われることになり、その前のアメリカ国内への出張にも大きく影響しました。
それでも、やるほかありません。
インドで、大戦の歴史を公正に見直そうという歴史観の講演を致してきます。
こうした小さな動きが、日韓合意の誤りをすこしでも糺(ただ)すことにいつか繋がることを祈るほかありませぬ。
▼インドの準備に忙殺されながら、昨夜に政権の中枢と眼を見ながら、日韓合意をめぐって議論しました。
烈しい議論になりましたが、とりあえずのこととして、幾つか要請しました。
たとえば外務省の英文発表の見直しです。たとえば官邸から祖国と世界に向けての発信・説明です。
実際はもっともっと具体的に要請しましたが、ここではまだ申しません。
あ~、正直、疲れる。
ぼくはほんとうは、ただ原稿、それも小説の原稿を書いて、スポーツをしていたい。
*追記
インドから帰国するのは、7日の木曜です。
ザ・ボイス(ニッポン放送のラジオ報道番組)は生放送にそのまま参加します。
日韓合意についても、インド行きについても、年明け最初のメディアでの発信はこのザ・ボイスになります。
この帰国の日には、チャンネル桜の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」の収録も、「ニュース女子」(東京MXテレビ)の収録もどっと入っています。(やれやれ…すこしだけ休ませてほしいナァ、ほんとは)
しかし生放送は、このザ・ボイスだけです。
同じ7日木曜朝の虎8(CS放送・ネット同時放送の「虎ノ門ニュース・8時入り」)はまだ生放送ではなく、優れたジャーナリストの有本香さんとの対談を収録で放送します。
これはぼくのインド出張の影響ではありません。虎8の制作側の都合です。
ちなみに、元旦の金曜日に放送されたベストセラー作家の百田尚樹さんとの対談も、生放送ではなく、収録です。
元旦分も7日分もいずれも事前に、生放送ではないことがすでにアナウンスされています。
いただいた書き込みの中に「百田さんとの対談で日韓合意について言及していないのはケシカラン」というものもあって、閉口します。
この対談を収録した時には、日韓合意は影も形もありません。
ぼくのことをすべて理解してほしいとはゆめ、思いません。
ただ、ご自分の基本的な勘違いを疑うこともなく思い込みだけを仰るのは、新年にはもう、無くなってほしいです。
虎8の生放送は、ぼくの参加分については1月第2週の14日木曜から再開です。
どうぞスタジオ前にお出でください。
日韓合意についても当然、踏み込んで話します。
いちばん奥の奥まで踏み込むのは、クローズドの会員だけに配信する東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)です。新年の初荷が、今日4日月曜に出せるのか、それともインド発になるのか、まだ分かりません。インドの準備の進捗次第です。
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転載終わり
では、また明日。
皆さんの今、そして未来も、皆さんにとって幸せな時であります様に…。
と言うよりも、
皆さんの今、そして未来も、皆さんにとって幸せな時であります。
(それが必ず実現される為に、”祈り”ではなく、”そうである”と断言しました。)
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