新湊橋の交差点まで来るとすぐそばに八戸線の線路がある。
ちょっと裏に入れば本当に線路沿いになるけど、その先は行き止まりなのは分かっている。
最初から分かっているというのはちょっと面白くないけど、ちょっと安心する。
少し歩いてからセメント工場に向かって裏道へ。
目の前には八戸線の高架線の基点付近が見えた。
「制限高2.9M」と書いてあり、トラックとかは通ることが出来ない。
この付近を歩くことはあまりないし、車で通ることはもっとない。
湊~小中野は詳しいというか縄張りだと思っているけどこの辺はそうでもないのかもしれない。
やがて高架線は高くなり、手が届かない高さになる。
辺りは住宅街。
庭に柿の木が植えられていて、いい具合に実がなっていた。
柿は大好物だけど、渋柿は嫌いだ。
若い頃は干し柿作りが好きだったけど、毎度毎度うまく作れないのに嫌気が差し、今では貰ってくるか買うかにしている。
しばらく歩くと改修工事中の常現寺が見えてくる。
すぐそばにはかつての新むつ旅館の建物もある。
1度新むつ旅館に泊まったことがあるが、八戸線の汽車の音が聞こえ、常現寺の屋根も見えたりと、普段慣れている景色・音を感じながら宿に泊まるのが不思議に感じたものだ。
ちなみ私は新むつ旅館の近くに住んでいた。
さらに進むと「ささ食堂」が。
そういえば、ここで野菜炒め定食を食べたなあ。
若い頃は「野菜炒めが美味しい店は何を食べても美味しい」と勝手に決めつけていたものだ。
野菜炒めかラーメンか。
それが食堂の全てだと思っていたのが懐かしく思い出された。
すぐそばには銭湯が。
ここも昔入ったことがある。
今でも現役なのは嬉しい限りだ。
その向かいにはユニバース小中野店がある。
昔のユニバース小中野店は、表通りの、現在はマンションが建っている場所にあった。
ピンク色っぽい外壁で2階建て。
1階には軽食コーナーがあって、ここでラーメンを食べたりミキサーで作ったジュースを飲むのが好きだった。
昔話はさておき、道路を渡り、八戸線沿いを歩いて行く。
しばらく進むと小中野駅が彼方に見えてきた。
そのすぐ前には郵便局があったはずだ。
そして、その辺りには数軒の飲み屋が。
現役だろうか?
そして小中野駅前を通過。
現在は無人駅だが、昔はどうだったっけ?
小中野駅を過ぎると交差点がある。
ここにはキクヤ食堂があり、ここも結構好きな食堂の1つだ。
去年だったか、ここで冷やしラーメンを食べたことがあったが、さっぱりしていて美味しかった。
今度は普通のラーメンも食べに来たいものだ。
道路をまたぐ八戸線。
鉄橋部分は水色で、よくよく見るとウミネコらしきものが白く描かれていた。
ここも好きな被写体の1つだ。
交差点を渡り、高架線の下をまっすぐ歩いて行く。
大きな葬儀店の裏の砂利道を進んでいると葬儀店の従業員が露骨に不審者を見るような視線を浴びせてきた。
その理由は間もなく分かった。
そこは延々と葬儀店関係者用の駐車場が並び、突き当たりは行き止まりになっていたのだ。
突き当たりは左に八戸線が、右にはかつての貨物線の高架線が残っていた。
貨物線は昭和後期に使われなくなったようで、ここの合流点をいつか撮ってみたいと思っていたのだ。
念願は叶った。
不審な視線を浴びせられただけのことはあった。
ここから八戸線の高架線が始まります。
左は湊方向、右は小中野を経て街へと続きます。
今回は魚眼ボディーキャップレンズをメインに使っているので、こういう所もそれなりに撮ることができた。
大分高架線らしくなってきた。
延々と続きます。
柿の実も色づいてます。
ささ食堂。
昔、ここで野菜炒め定食を食べました。
いつの間にか閉店。
昔ながらの食堂がどんどん無くなっていくのは寂しいものです。
左から、八戸線の高架線、銭湯、ユニバース。
ユニバース前の道路を渡って行くとやがて小中野駅へ。
その辺りには飲み屋だった建物が少しある。
みちのく。
関係ないが、昔、仙台駅に同じ名前の飲食店が入っていたような記憶がある。
出張で仙台に行くとまずここに入って軽く飲み、その後別な居酒屋で本腰を入れて飲むというようなことをしていたが、駅のリニューアルとともに姿を消してしまったのが惜しまれる。
小中野駅も立派な券売機が設置されていた。
しかし久しぶりだ。
確かこの近くに眼科があって、子供の時は目をいじられる(当時はそう思っていた)のがとても怖かったのを覚えています。
左が八戸線、右はかつての貨物線です。