島守の龍興山神社。
フィルムはコダクロームだったような?
かみさんが写真に夢中になってます。
身内びいきながらいいセンスで、めきめき上達中です。
かみさんには「うまい下手関係ないから何でも撮りなさい」と言っていた私がうまく撮れずに悩んでいると、逆にかみさんから「何でもいいから撮りなさい」と言われる始末。
かろうじて技術面や知識面では私が上ですが、そう遠くない将来追い越されることでしょう。
そんなかみさんを見ていたら、写真少年だった頃の気持ちや感覚が懐かしく思い出されるようになったので当時のカメラ雑誌を何冊か手に入れてみました。
私が初めて買ったカメラ雑誌は月刊カメラマンでした。
あの当時の月カメは、今では考えられない程内容が充実していて、主な読者層も青少年という構成でした。
撮影技術の解説は細かく、フォトコンテストの審査員は毒舌というか、口が悪い。
スナップ撮影というジャンルは存在しない。
アイドルの投稿写真も盛んで、ちまたではカメラ小僧という言葉も。
写真が趣味だというだけでカメラ小僧扱いされたこともありました(30代になってからも飲み屋の板前氏に趣味は盗撮かと馬鹿にされたことがありました)。
読者同士の交流や叩き合い?も盛んだったような気がします。
約40年の写真歴の中で一番下手だったけど、それでも一番楽しかったのは写真少年デビューの頃でした。
当時、うへえ少年は何が撮りたいか定まっていませんでした。
ただ、「写真イコール風景」、写真を始めたら風景を綺麗に撮らなくてはならないという先入観というか固定観念を持っていました。
しかし、風景写真の名所に行く手段も金もない。
少ない小遣いでは足りず、役に立つ趣味だということでフィルム代は特別に支援してもらったりしてた状態でした。
仕方ないので夜明けの近所の川に野鳥を撮りに行ってはみたけれど露出の意味が分からない、ピント合わせも苦手、三脚は割り箸みたいと表現されるような頼りないもの。
レンズは標準ズーム以外は1万5千円位で買ったトキナーの80ー200mmの暗い望遠ズームがあるだけ。
川の真ん中にいる鴨は豆粒のように、しかも盛大にブレていました。
後は家族で出かけた時に観光地で絵はがきのような写真を目指して頑張ったりするのみでした。
ちなみに、よく「絵はがきのような写真はだめだ」と批判する人がいるけど、私は1度でいいからああいう綺麗な写真を撮ってみたいと思っています。
年が経つごとに綺麗な風景写真を追い求めていた私は、だんだんと主流から外れて周囲から理解してもらえない写真を撮るようになっていきました。
そしてさらに道を踏み外し、中古カメラ(クラシックカメラ)道に迷い込んだ結果、レンジファインダー機はスナップだ、クラカメではスナップがいい、と考えるようになりました。
ちょうどその頃は就職して数年が経ち、「ふるさとの山はありがたきかな」ではありませんが、「ふるさとの海はありがたきかな」と八戸の景色を思い浮かべたり思いを募らせたりしていました。
よく頭に浮かんだのは、生まれ育った大字湊町、そして新井田や小中野、白銀、鮫という地域の景色でした。
頭の中のその景色は、夕日のようなオレンジ色の光りに照らし出されていて、私は帰省する度にその景色を追い求めて市内を歩き回ったものでした。
しかし頭の中のイメージの八戸の景色を再現したいと思ってもそう簡単にはいかないもの。
なので冬の午後から夕方を選んで撮影に出かけ、リバーサルフィルムとCCフィルターを使ってそれらしく仕上げて悦に入ったりしてました。
そして、そういう時はなぜかクラシックカメラが似合うというか、そういうカメラを使うと撮影がはかどるし気分も乗るような気がしました。
クラシックカメラの道に迷い込んだことも無駄ではなかったようです。
そして私は八戸で働くようになりました。
望郷・憧れの景色が当たり前になると、だんだん飽きてくるものです。
初心を忘れ、汚れちまったうへえ青年でした。
ある時写真部時代の後輩と糠塚の辺りをカメラ片手に歩いたことがありました。
その後輩に「先輩の(写真の)ポリシーはなんなんですか?」と聞かれたことがありました。
何を生意気な、と思ったけど確かにポリシーらしいものを持って写真を撮っているわ訳ではありませんでした。
なんとなく忘れられない青年時代の一コマです。
そんな私に刺激を与えたのはブログでした。
どこで何がどうなったのか、何がきっかけだったのかは今ではよく分かりませんが、気がつけば他のブログの方々との交流が始まり、ブロガー写真展に参加したりオフ会に出たりするようになっていきました。
たまに自分の写真を褒められたりするとその気になり、またまた八戸の写真を撮るようになっていきました。
しかし、今風にいえば「いいね」をもらうために写真を頑張るようになっていた私。
すっかり初心を忘れてます。
現在では交流のあったブログも消えていき、仲間との交流も途絶えてしまいました。
私も最初のブログをやめ、次のブログもその次のブログもやめ、今のブログにたどり着きました。
今の私は初心も忘れ、ブログ仲間からの刺激も無くなり、ただ惰性で撮っているだけ。
そんな時に身近な人が写真に夢中になっている・・・うへえ中年からうへえ少年やうへえ青年に戻るためのいい刺激、いいチャンスかもしれないと思い始めています。
毎回横丁を撮るのもいいけど、また昔のように懐かしい八戸の景色を撮っていきたいものです。
しかし、記憶の中の景色・被写体はどんどん姿を消しているし、カメラを手に住宅地を歩き回っていると不審な目で見られる。
難しい世の中になってきました。
しかしいつかは和井田登さんのような八戸の写真を撮れるようになりたい、それを目標に撮っていこうと思っています。
いろいろ言葉を並べてみたけれど、結局は写真が好きなのです。
今年もお盆がやってきて、そして終わりました。
なんだか台風に翻弄された感じがしないでもないけど、その割にはいつものお盆よりも遊び歩けた気がします。
もちろん、お寺さんや墓参りには行きました。
でも、なんだかご先祖様に申し訳ないという気持ちがします。
いずれにせよ、お盆は今日で終わりです。
明日は仕事です。
あっという間のお盆休みでした。
お盆前にフィルムを詰めたオリンパスPEN。
お盆中に撮り終わる予定だったけど無理でした。
この日は暑かった。
車のエアコンも効きが悪かったような気がします。
外気温は41度。
親孝行という名目で焼肉を食べに行きました。
やっぱり冷麺は欠かせません。
お盆でも、お盆でなくても本屋さんに行きます。
青森関連の面白そうな本を見つけました。
なぜか三戸城へ行ってきました。
久しぶりの三戸城です。
三戸城址の糠部神社に夏詣と書かれた旗が。
春詣、秋詣、冬詣は?
暑がって帰りたがるかみさんを連れて三戸町内を散策。
11匹の猫です。
金田一温泉に行きました。
やっぱり温泉はいいものです。
ついでにちょっとだけ撮影を。
道の駅さんのへでソフトクリームを食べる。
ここのソフトクリームは美味しいんです。
久しぶりにOM-D E-M5Mk3を持ち出しました。
これまた久しぶりの単焦点での撮影です。
そして、タリーズ。
かみさんは親孝行に出かけました。
私はグランドサンピアで日帰り入浴。
風呂上がりのノンアルコールビールはうまいです。
八戸市博物館で開催されている夏季特別展・きらめく八戸。
昭和40年代の八戸の写真を展示しています。
撮影は和井田登さん。
昭和40年代から50年代の八戸は活気溢れていました。
お盆最終日。
K-1改を使いました。
久しぶりの蕪島神社参拝。
帰省客・観光客で混雑してました。
ここまでするか・・・。
昼は階上町の産直施設で。
昼定番のノンアルコールビールです。
そういえば、このノンアルコールビールは飲んだことありませんでした。
いちご煮パスタ。
とっても美味しかったのでした。
のんびりと海を眺めていたけど、だんだん時化てきました。
階上の大蛇漁港。
霧が濃くなってきました。
白いハマナスの花。
ハマナスの実。
お盆はこれで数珠を作るのが昔からの習わしでしたが、我が家では絶えて久しいです。
階上の産直で売ってたトビウオ。
トビウオを見るのも食べるのも初めてでした。
令和4年8月のお盆、私は陸奥湊駅から街までカメラ片手に歩きました。
カメラはオリンパスPEN-Fで、画像の縦横比は1:1で撮りました。
暑い日で、街に着いたらそのままタリーズに直行して涼んだのを覚えてます。
なぜ2年前の写真を今更載せるかというと、ただの在庫処分なのでした。
久しぶりに浅虫温泉に行ってきました。
ここに行く目的はだいたい決まってます。
それは、「道の駅ゆ~さ浅虫」で温泉に入ることです。
道の駅で温泉に入るというのもまた楽しいもの。
建物の5階にある展望風呂から陸奥湾を眺めながら温泉に入るのは至福の一時なのです。
さて、来たついでに浅虫の温泉街を少しだけ歩いて来ました。
あちこち撮り歩こうかと思ったけど雨に見舞われてしまい、気が萎えたので駅前をちらっと撮っただけで退散。
次回は浅虫で日帰り入浴のはしごもしてみたいものです。
でも、展望風呂が一番かな。
展望風呂横の休憩スペースから陸奥湾を望む。
展望風呂からはほぼ同じ景色を見ることが出来ます。
来たついでの散策で撮りました。
青い森鉄道で浅虫温泉に来るのもいいかもしれません。
可愛らしいポストです。
どこに行ってもタヌキは頑張ってます。