岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

休らふ

江戸前期の芭蕉は「奥の細道」で「岩に腰掛けてしばし休らふほど」と書いたが、この「休らふ」と「休む」とは元々無関係。「ためらう」が「休らふ」の原意。平安中期の紫式部は「源氏物語」で「ものや言ひ寄らましとおぼせど、打ち付けにやおぼさむと、心恥づかしくて、休らひたまふ」と書いている。従って、ここの「心恥づかしくて休らひたまふ」は、「気が引けてためらいなさる」の意。言葉の用法は時代と共に変化する、この変化は誰にも止められない。赤染衛門の「休らはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな」は、平安中期の和歌なので、ここの「休らはで寝なましものを」は「ためらわずに寝てしまったであろうに」となる。ついでに言えば、赤染衛門は「あなたが来ないと知っていたなら」を言外に仄めかしている。君と一緒に「かたぶくまでの月」を見られるのなら、僕は「休らはで」励むだろう。




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