「桝一市村酒造所」の法被を着た男が、カウンター越しにポンとステンレス製の猪口を置いた。私は言われた通り手を出さずに、猪口の中の空を見ていた。ステンレス製の酒瓶の栓を抜いた男の手は見る間に酒を高さ4センチほどの杯に満たした。その動きは直截、一切の無駄はなかった。しばし、私は目の前に置かれた不動の輝きに見入った。その名も「山廃仕込みの白金」、1杯300円。私は男を見て唸った。こぼれない限度ぎりぎりにつぐその手並みは的確で鮮やかだった。「酒に酔ったこと」は今までにもあるが、この時ばかりは「酒のうまさに酔った」と言わねばならない。「白金」の値を聞くと、普通の一升瓶で10,500円。ステンレス製の容器入りだと容量が750mlになる。私は迷わず後者を買った。つまみの「ひたし豆」もあっさりと上品な味だった。次回は試飲ではなく、併設のレストランで飲食をしたいと思った私は、「この辺に泊る所はあるか」と尋ねた。男は「山田温泉」の「藤井荘」を筆頭に挙げた。「すぐ近くにユースホステルもあります」と答えた。
北斎美術館の隣に桝一市村酒造所はあった。「そこに身を置いているだけで心地よい風景」を求めて小布施に出かけのだが、そこで思わぬ美酒を発見したのは、やはり日頃の心がけが良いからだろう。北斎美術館周辺には栗菓子の店が多い。中でも「小布施堂」の暖簾をくぐる人並みは平日なのに絶えることがない。小布施の町は酒と栗とで日が暮れるようだ。
日本各地の小さな町や村が、小布施の町のように、それぞれ特色を生かし、魅力的なものになれば、日本も捨てたものでなくなるだろう。
葛飾北斎が晩年に4度も訪れたという豪農豪商高井鴻山の記念館を見学した。北斎は年下の鴻山を「旦那様」と呼び、鴻山は北斎を「先生」と呼んだ。彼らの関係を深く知りたいものは、自分の足で小布施を訪れて自分で調べるのが良いだろう。高井鴻山は佐久間象山とも交流があり幕末の変革に関与した。鴻山記念館の一角にある「翛然楼」と言う名の書斎の2階には古い火鉢が置いてあった。象山と鴻山とが向かい合って手を暖めた火鉢だ。その説明書きが真実ならば、私の手は彼らが触った火鉢を触ったことになる。秋の暖かい陽が差し込む翛然楼の窓から空を見上げると、気持ちのいい青空に白い雲が浮かんでいた。2011年10月3日、周囲の田には稲穂が黄金色に輝き、果樹園には林檎や葡萄が実っていた。荒れ狂うほどの神秘な力が潜んでいるからこそ、自然は、時に、私たちに恵みを与えてくれるのだろう。
小布施に来る前の晩は、渋温泉の「湯本旅館」に泊まった。創業が江戸寛文年間という宣伝文句に惹きつけられて出向いたが、再訪したい気持ちはない。建築物が古かったこと、これを問題にするつもりはない。感じたままを正直に言えば、旅館で働く人々も女将も私に対して無愛想だった。泊る前日に急に電話予約した気儘な一人旅だったせいかもしれない。が、玄関に初めて入った時から最後に出た時まで、私は一度も歓迎の意を旅館側から感じ取ることができなかった。愛想笑いが欲しかったわけではない。親密に向かい合う心と場とが乏しかった。
人間の目には見出すべき二つの色がある。一つは拒否的な色、一つは受容的な色。私が湯本旅館で見出した色はすべて拒否的な色だったとは言わない。が、私に対する受容的な色の目があったとも言わない。少なくとも旅館側の私に対する関与度は低かった。私はビジネスホテルに泊まりに行ったのではない。
渋温泉そのものは横湯川沿いに湯けむりが立つ素朴な温泉だった。その源泉は上流の地獄谷温泉の手前の川岸にあった。その草むらから湯けむりが立ち昇っていた。
渋温泉郷は細い石畳の道でつながっている。街を下駄で歩くとカラコロと鳴り響き、いかにも温泉宿の客の一人になったという気分に浸れる。街には九つの、脱衣所があるだけの素朴で小さな共同浴場があり、宿泊客ならば自由に利用できる。全部入ってみたが、中には水道水を加えても熱くて入れない湯があった。天然温泉の、いわゆる源泉掛け流しだった。同じ旅館の風呂に9回も入る気はしないが、この9箇所の外湯巡りは湯温や湯の色が違っているので楽しかった。渋温泉の源泉は一箇所だけではなかった。
夕方、外湯巡りをしている時、確か8番湯の出入口前だったと思うが、そこで浴衣姿の30代くらいの女性と出会った。「東京からです。戸隠を歩き回ったので、温泉で足の疲れを癒したくて来ました」と言った。きっかけさえあれば、誘ってみようかという魂胆だったが、なかなかそのきっかけが生まれない。その時、ちょうど目の前の共同浴場から中年男が出てきた。彼女が急に、「男湯の方は熱かったですか」と声を掛けた。私は初め、彼女の連れなのかと思った。3人で湯の話をしているうちに、彼らは連れではないことが分かった。私は心の中で、彼女が私と対話している時に男に声を掛けた理由を探った。が、答えを掘り出すことは出来なかった。私は、しかし、その彼女の心の読み切れない動きに対して良い印象を持つことは出来なかった。彼女の薄い胸と色香の乏しさも私の決意を鈍らせた。「明日はどこへ行くんですか?」
「明日は帰ります」
「それじゃ、また」そう言って、私は男が出て行った共同浴場の中へ入って行った。
寝る前に旅館の部屋のテレビの電源を入れた。NHK教育テレビで哲学の講義を視聴した。日本人の行動様式の特徴を分析していた。知っているようで知らないのは、確かに自分自身のことだ。もっとも、自分のことなど知ったほうが良いのか、知らないままでいるほうが良いのか、それは断定できない。まとまらないまま一つの世界が自分の心の中で流れ去る。そんな旅、そんな一日、そんな時間の積み重ねが、思えば、私の人生の大半を占めているような気がする。
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