泣きながら、撤退同盟

このブログの半分は、薄情でできています。。。

人の上に人を作らず、と言えり

2009-11-04 | クリスチャンらしい話です
なるほど。ツイッターでつぶやくと、
こうなるのか。


今朝はまた、莫迦寒かったですね
きのうは日中はお日様が出ていたのに、全く暖かくならず
かえって北からの台風かと思うような突風が吹き荒れて、ガンガン気温が下がりまくり
雪こそ降らなかったけれど凍ってもおかしくない位まで気温が下がりましたね。


そんな寒い中、コンサートに行ってきました。
昨日ツイッターでつぶやいた「watoto」のコンサートです。
会場は、名古屋ではお嬢様学校と名高い金城学院大学の講堂。
(妻は、「女子トイレが広い!」と喜んでいましたが)


watotoとは、
アフリカ・ウガンダに生まれたけれど、貧困・戦争・エイズなどで親を失い、とても生きていけない子供たちを養い、教育や奉仕、そして教会教育で育てて行くと言うプロジェクト


だと思っていました。わたくしめ。

だって、事前のチラシにも、当日のパンフレットにも、「24時間テレビ」的な
だからみんなで、助けてあげよう!!臭の強い言葉が書いてありました。

コンサート場では今流行のパワーポイントをばっちり使って
「Rescue Riseup Rebuilding」という言葉が踊っていましたし
クリスチャンのみんなで、たすけようね☆といった雰囲気バリバリでした


たしかに、
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言えり」と言ったのはかの有名な1万円札のひとです。
しかしその意味は「全ての人は、どのような条件でも平等」と言ったのではなく、
たとえ元々平等であったとしても、

学ぶと学ばない差によって、賢人と愚人の別の出来ることから説いておられます。
だからこそ、『学問のすすめ』なのです。
インターネット三田会:『学問のすすめ』

と言うわけで一万円札の人の結論は「だから勉強はとっても大事なんだよ!」ってことがであり、
その「人の上に云々」言葉の元々の出展元は米国独立宣言のトマス・ジェファーソンの言葉であり、
その元は、キリスト教精神に基づくものであります。


子供たちが元気に歌い、そして踊る姿。
成功した国である日本が、貧しい国の、将来を背負う子供たちを救い、教育をさせ、国の発展を願うのは
しなければいけない責務、かも知れない。
特に、そのことを知っているクリスチャンの責務として
当然のことかもしれない。
だが、
 

彼らが登場し、元気に歌い、そして踊る姿を見て、
わたくしめははっきり言って、
同じように楽しめなかった。
なぜなら、その小さな彼らが今まで背負ってきた悲しみは、この平和な日本でのんべんだらりとしているような我々が簡単に理解できるようなものではない、莫大なものであろうし、
それを理解するふりをして「同情する」、ということは、あきらかに「上から目線」で子供たちを見ることであり、
「悲しんであげる」「助けてあげる」という
どうあがいても、ある程度余裕を持った者の「上から目線」である自分がいやらしく思えて、
でもそうとしか思えなくて。


おれはそんなに偉い人なのか?
偶然この日本に於いて何不自由なく暮らせているだけで、
それだけで彼らを「哀れんであげる」だなんて、
上からいえるのか?
大体、彼らの何を知っている?
何にも知らないくせに、何でも知っているような振りをして。。。。。


そんなことを思いコンサートを見ていました。
終了後、会場出口にはそのwatotoの子供たちがいて、お見送りしてくれていましたが、
彼らにかけてあげる言葉なんて見つからなかりませんでした。
なんて言ったらいいんだ?一体!
お殿様が家臣に下す言葉でも掛ければ正解なのか?

多くの観客たちが彼らに話しかけ、サインをねだる
その彼らを見た少年たちの表情は
「なんだ、またかよ」といった目をして帰路に着く入場者たちを見ていたように思いましたが、
それは彼らのプロ意識から生まれたのかもしれませんし、わたくしめの奢った心からそう思ったのかもしれません。

とにかく、
わたくしめには、その彼らに掛ける言葉など、見当たりません。





そんなモヤモヤした気持ちのまま、家に着き、
会場で買ったDVDを早速視聴しました。


うん?
そこには「Watoto childcare ministry」という文字が躍っている。
みにすとりー?でんどう?

今見ると、公式HPにもちゃんと「Watoto childcare ministry」の文字がある。


DVDには、創設者スキナーさんの言葉も在りました。

このwatotoという活動の前に、
このスキナーさんご夫妻はウガンダで伝道を開始し、そこで4千人の教会を立て挙げたそうです。
しかし、そこで親が病気や戦争で死んでしまったり、いなくなってしまった多くの子供たちがいることを目にしました。
そこで、施設を作ってこどもを集める、ということよりも、
子供たちは教会の業(教会の方針)として、「家族を作る」ことを重視したそうです。
全く知らないこども8人と母親役の女性で一つの「家」をつくり、そこで子供たちは切磋琢磨して育っていく、ということだそうです。
で、育てて教育・技術・運動などもするとともに、教会の業ですので、子供たちへ

主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 (heb:13: 5)

と聖書を通して問いかけることによって、一人一人が自分から神さまに近づくことができるようにする導きを与えることもしていくこと、
教育などとともに教会教育も子供たちにして、多くの子供が救われるようにすること
そのことこそ「childcare ministry」である、というのです。
(最後の一行は、そこまで言って無いけど


そしてその「ministry」は世界中に届けられ、
子供たちの歌や踊り、そしてその生き様を通して
「本当に本当に神さまはわたしを見捨てず、助け、励ましてくださる方なんだ!そのことによって、変えられた人生を送ることが出来た!」
という証をしていく「ministry」につながっていく、ということなのですね。

ということがDVDを見て分かりました。


それでやっと、胸につかえたモヤモヤが取れました!



とするならば、このコンサートは本来、信者の為のものではなく、未信者のためのもの、なのでは?


クリスチャンが、
「この子たち、可哀想だから助けてあげましょ!」というためのコンサートではなく、
クリスチャンで無い人が、
「アフリカのその国で、キリスト教によって子供たちが本当に変えられた!だからキリスト教の活動は、いいかもしれないし、子供たちが信じているものは本物かもしれない」と思わせるためのコンサート
ってことだよね。


それなら、あの子供たちが「なんだ、またかよ」といった目をしていた理由が良く分かります。

なぜなら彼らは、
自分たちは日本という国に伝道をしに来た(キリスト教の話をしに来た)のに、
見ている人は慈善活動をして「あなたたちは可哀想ね」と言って哀れんで満足している、
というのがやりきれなかったのでしょう。


であるならば、
彼らに掛けるべき言葉は、ただ一つでしょう
「All you are good soldiers of God!」
これなら、ちゃんと声を掛けられます!
なぜなら、彼らとわたくしめは同じ「主の戦士」ですから。





日本だと、慈善公演ならできるけど、伝道コンサートにできない
ってことなのかねぇ、
色んな制約で。。。。。。
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